一遍と今をあるく

哲学カフェ一遍

2017年02月10日

時事随感 難波紘二

「帝国の慰安婦」の判決

ソウル市東地裁はソウル・世宗大学朴裕河教授が刊行した「帝国の慰安婦」(朝日新聞出版社、2014/11)が元慰安婦の名誉毀損にあたるという原告側(元慰安婦)の提訴に対して1/25無罪判決を下した。

2017年02月09日

寒来暑往 八木亀太郎

6南無 岡田顕三翁   (七)

バートランド・ラッセルの『科学概論』という分厚い本を読んだが、この本によって私は大いに啓蒙され、爾来、ラッセルに深い関心を寄せるようになった。一九六七年版のラッセルの自叙伝を先年、若いころの岡田家のことを想起しつつ、心をときめかしながら読んだ。

2017年02月07日

宇和島歴史紀行 近藤俊文

日本のあけぼのー伊達宗城公の足跡をたどるⅥ


 こうして、九日の夜、西宮の永福寺で瀧は切腹する。

 サトウやミットフォードはじめ各国外公団はみな、その従容とした死の作法に感動した。

 

2017年02月03日

時事随感 難波紘二

トランプとメイフラワー

元もと「移民の国」なのに米新大統領ドナルド・トランプがやり始めた「難民受け容れ制限」は、アメリカ史に対する無知の産物としか言いようがない。近現代の世界史には、ヒトラー、スターリン、毛沢東、ポル・ポトといった無知な独裁者が出現したが、トランプもそれに匹敵するだろう。

2017年02月02日

寒来暑往 八木亀太郎

6南無 岡田顕三翁   (六)

鈴木さんという岡田翁の青年秘書が二人を迎えに来た。最初はたしか夕方に有楽町から省線に乗り、高間さんと三人で代々木の岡田邸に赴いた。

 開けっ放しの電車の窓から時折、涼風が吹きつけ、吊り革をもって私の横に立っていたワイシャツ姿の高間さんの赤い無地のネクタイが風にゆらいでいた。

2017年01月31日

宇和島歴史紀行 近藤俊文

日本のあけぼのー伊達宗城公の足跡をたどるⅤ

当然のことながら、公の手足となって働いたのは宇和島藩士だった。正確な数字は分からないが、慶応四年の上京には三百人の宇和島藩士が従ったと、初代日銀総裁となった松尾臣善(岡山出身の宇和島藩士)はのべている。 

2017年01月30日

寒来暑往 八木亀太郎

6南無 岡田顕三翁 (五)

『僕は最近、何だかんだとうるさいから、有楽町の蚕糸会館という新しいビルの一室を借り切って、書いてるんですよ。一日二円五十銭だが、落ちついていいですよ。どこにいるか誰も知らないから、人も来ないし』と言われていたのも、ほんの昨日のようだが、あれから四十年の歳月が流れている。

2017年01月27日

寒来暑往 八木亀太郎

6南無 岡田顕三翁 (四)

どちらかと云えば剽軽(ひょうきん)で茶目っ気の家永君とは好対照だったが、なかなかの人柄で、食堂での二人はよく揆(ばち)が合って楽しそうだった。西条八十の話にはさして興味もないらしく『さあねえ』と気のない返事がかえってきた。

2017年01月27日

寒来暑往 八木亀太郎

6南無 岡田顕三翁  (三)

『うん、そう言われればね』と生半可な返事をすると、すかさず、家永が、『うちの教育部の高間さんです』と紹介して、自分のジョッキを飲み乾した。高間さんと名刺を交換したとき、家永が注釈を加え、『高間芳雄というのは本名で、八木さんも少し知ってると思うんだけど、高見順というのがペンネームですよ。コロムビアは給料が安いから、小説でひと儲け‥‥』。

2017年01月20日

寒来暑往 八木亀太郎

6南無 岡田顕三翁 (二)

昭和の八、九年頃、私が東拓ビルのコロムビアへ出入りしたことは前述の通りである。満州事変の前後、コロムビアでは、その時代のアジア主義の擡頭に呼応して、外国語のレコード(当時はまだテープがなかった)の複製を企画し、当時まだ日本では入手し難かったリンガフォーンの英、独、仏版の解説付のコロムビア盤を出すことにし、蒙古語など、リンガフォーンにないものは、コロムビアが独自のオリジナルを作製することになった。