2017年11月09日
時事随感 難波紘二
閔妃の写真
李氏朝鮮の末期に、国王高宗の妃である閔妃(みんぴ)がその血縁者(外戚)と共に王室・政府の支配権を握った。そのために邪魔になる国王の父、執政大院君を清軍に拉致してもらう(1882)ことまでした。また日本に亡命していた金玉金を1894年上海に誘い出し、刺客により暗殺している。
2017年10月19日
寒来暑往 八木亀太郎
9 南溟の友スジョノ君 (三)
ある日一枚の写真を持って、私の座席にやってきた。にこにこしながら、『見て下さい』という。キャビネに伸ばして台紙を付けている。見ると、三十人ばかりの若い人が映っている。『県人会の写真かな』とたずねたら、在京のジャバやマレーの人達のあるパーティーでの記念撮影だとのこと。顔だちがすっかり日本人らしいので、私はまさかと思って、びっくりした。
2017年10月06日
時事随感 難波紘二
団地の現在
都心から電車とバスで20分という交通至便の地に、東京で最初に造られた「ひばりヶ丘団地」(敷地34ヘクタール:広島大のキャンパスよりは狭い)がある。1959年に完成したこの団地は、元は4階建ての完全洋式の集合住宅等が立ち並んでいて、当時の皇太子ご夫妻が渡米前に生活様式を見学に来られたこともあるという「高級団地」だったという。
2017年09月19日
寒来暑往 八木亀太郎
9 南溟の友スジョノ君 (二)
昭和十三年、例によって森さんと話をしているところへ、一人の貴公子然とした紳士が現れた。年の頃三十四、五、顔の色はやや黄灰色だが、瓜実顔で眉目秀麗、かすかに香水の匂いがする。長さんが改まって二人を紹介してくれた。これがマレー語のスジョノ先生だったのである。
2017年09月11日
時事随感 難波紘二
新聞小説
今、同じ「日経」に伊集院静「琥珀(こはく)の夢」という、サントリーの創業者、鳥井信次郎をモデルにした連載小説が載っている。有名な作家だということは知っているが、小説は読んだことがない。
有名な「赤玉ポートワイン」が鳥井の創作になるとは知らなかった。
2017年09月07日
寒来暑往 八木亀太郎
9 南溟の友スジョノ君 (一)
昔の校舎は木造バラックで老朽もよいところだった。廊下などにも穴があいていたりして、注意して歩かないと足を突込むおそれがあったし、薄汚ない天井からは五燭か十燭の裸電球がぶら下がっていて、しかもそれが埃だらけときているのだから、どう見ても、天下に名だたる東京外語の建物というにはあまりにもお粗末だった。
2017年09月05日
時事随感 難波紘二
記事がわからん
「記事がわからん」というのは、例の大洗の被曝事故についての報道で、①作業員5名の正規の所属がいまだに報じられない、②原子力機構が公開した、爆発が起こったチャンバーと周囲の床の状況写真と新聞のイラストや記事との間に食い違いがあるという2点だ。
2017年08月24日
時事随感 難波紘二
中江兆民の病歴
彼が創始となったものとして、
1.医師にがん告知と余命告知を求めたこと、
2.余命を知り2冊の本を書いたこと、
3.篤志病理解剖を希望したこと、
4.葬儀をせず、日本初の告別式を(弟子たちが)行ったこと(参列者1000人)
などが上げられるだろう。
2017年08月23日
時事随感 難波紘二
廃用性萎縮-2
画面の選択候補の中から、目で見て必要なスペルを選べばよいので、自分で文字を綴る必要がない。それを続けていると、文字が書けなくなるとドンは言うのである。
「ああ、これは廃用性萎縮だな」とその時、思った。
2017年08月22日
時事随感 難波紘二
聖職の碑
ふと新田次郎の名作「聖職の碑(いしぶみ)」を思い出した。大正2(1913)年の夏休み中に木曽駒ヶ岳で起こった高等小学校(今の中学校)の生徒と教師の遭難事件を小説にしたものだ。1960年代、教育学部の学生にとって必読書になっていた。