一遍と今をあるく

哲学カフェ一遍

2017年06月27日

寒来暑往 八木亀太郎

8 「鉢の木」に通った頃 (二)

当時、辰野教授は金田一先生の後を承けて、東都学生将棋連盟の二代目会長になり、初段を允許(いんきょ)された。

2017年06月26日

時事随感 難波紘二

核シェルター

スイスは「武装永久中立」国だが、常備軍は少なく、市民は武装民兵として通常の生産活動に携わっている。「いざ鎌倉!」という時は直ちに戦力が増強される。それだけに住宅における核シェルターが不可欠となる。

2017年06月23日

寒来暑往 八木亀太郎

8 「鉢の木」に通った頃 (一)

後に暖簾分けをしてもらって、近くに『豊田書店』を開いた。彼は終戦後、防空壕で水浸しになった古書を買い集めていたが、僕が戦災で本を全部焼いてしまったことを話したら、僕の専門分野に関する本に仮表紙をつけて、数冊送ってくれた。『昔のよしみで読んで頂けたらうれしいです』といって、どうしても代金を受取ってくれなかった。それから間もなく豊田君は亡くなったが、今もその本を見るたびに、同君の好意が身に沁みる。

2017年06月15日

時事随感 難波紘二

朝鮮半島地図

 問題の豊渓里(ブンゲリ)は、威鏡北道西の自然境界をなす「摩天嶺山脈(標高2200m)」の東側山中のくぼ地にあった。ここに地下核実験場があり、南東に約60Km離れた海岸部・舞水端(ムスダン)里にテポドンの発射基地がある。「里」は村の意である。

2017年06月15日

宇和島歴史紀行 近藤俊文

日本のあけぼのー伊達宗城公の足跡をたどるXI

その時に活躍したのが、本当は時代遅れだったが、図体だけはばかでかい、慶応二年盛夏に鹿児島と宇和島にやってきたプリンセス・ロイヤル号だった。