一遍と今をあるく

哲学カフェ一遍

2016年09月30日

寒来暑往 八木亀太郎

5 内幸町物語

人仮りに、『盛年重ねて来たり、一日、東海の都を再訪し得ば、汝何処の辺に赴くや』と問うとせば、私は躊躇することなく内幸町と答えるであろう。
旧市電の日比谷交叉点と田村町との間に内幸町という電停があった。日比谷公会堂のすぐ側の四つ辻のところである。

2016年09月26日

宇和島歴史紀行 近藤俊文

サラミス入港まで

二十五日は宗城公と宗徳公が公式訪問ではなくてお忍びで乗艦して、朝から晩まで七時間も船に居て…。その時に宗城公の当時の西洋現代史、ナポレオンに対する知識が―当時の江戸時代というのは、ナポレオンというのは物凄くよく知られていたんですね。

2016年09月20日

寒来暑往 八木亀太郎

4 続・日米秘話

 戦前の二十五万㌦といえば莫大なもので、今日の日本の金でいくばくに相当するか、私には概略の見当さえも立たない。それを、『米国の学者には日本語が分からないから』と言ったり、『日本人の手でやらなければ恥だ』などと言って拒絶するのは、どうも合点がいかなかった。

2016年09月16日

風信録

森に包まれた都市づくり

国道11号線を松山市内から東温市の方へ走ると、遠く皿ヶ峰を望む方向に田園地帯が展(ひろ)がっていく。こののびやかな景観の入口に、この夏、「マテラの森」がオープンした。

2016年09月14日

宇和島歴史紀行 近藤俊文

サーペント、プリンス・ロイヤルが来る

二十三日午後一時に測量船のサーペント号が恵比須崎の沖にしばらく繋留したあと、間もなく出帆。それに水先案内をつけます。水先案内は日振島の沖で待機する。それと同時に日振島の山に島の人が登って二十四時間見張る態勢をとっている。

2016年09月05日

宇和島歴史紀行 近藤俊文

應接計画をたてた人々、その内容

さて、いよいよ宇和島来航の本番です。

じゃあ宇和島藩はどのようにエゲレス人を迎えたか。宇和島の人なんか外人を見たことなんかないわけですよ。

2016年09月02日

寒来暑往 八木亀太郎

3 日米秘話

 大塚籠町の六義園の筋向かいに、理研と並んで、『東洋文庫』があった。ここはかつてのモリソン文庫などを土台にして逐次拡充された東洋学関係資料の宝庫で、世界でも有数の図書館である。

2016年09月02日

時事随感 難波紘二

原爆ドームに咲いた朝顔の花

高校のクラスメートでニューヨーク在住の宮本(旧姓住田)季美枝さんから「原爆ドームに咲いた朝顔の花」を描いた美しい絵が送られて来た。
旧友と他の人にも転送してほしいとのことなので、英文メールに翻訳または私のコメントを付して転送します。

2016年09月01日

寒来暑往 八木亀太郎

2 金助町奇談

 私の最初の上京は昭和元年、高校一年の夏で、約一ヵ月間叔父の家に逗留した。大学に入学したのが三年後の昭和四年だったのは前にも書いた。そこで、今少しく有体(ありてい)[1]に、当時の時代の様相を述べておきたい。