一遍と今をあるく

哲学カフェ一遍

いまを生きる 小沼大八

2016年07月12日

いまを生きる 小沼大八

インド巡礼(三)

挿絵(H.Takahashi)
周知のように、古代ギリシャの哲人たちはコスモスという言葉で世界を表現した。コスモスとはいうまでもなく、ギリシャ語で秩序を意味する言葉だ。世界は秩序であるという思い入れを、この語は語っているわけだ。

2016年06月30日

いまを生きる 小沼大八

インド巡礼(二)

 挿絵(T.Katayama)
インド亜大陸では、五、六、七月に集中する雨期をのぞいて、雨がめったに降らぬという。いうまでもないことだが、人間の営みの清潔さはどうやら、水量の豊かさの度合いに正比例するようである。

2016年06月22日

いまを生きる 小沼大八

インド巡礼(一)

挿絵(Y.Murata)
インドの亜大陸ははてしなく広い。くる日もくる日も灼熱の太陽が平らな地平から昇り、半弓を描いて、やがて西の地平へ没してゆく。

2016年06月09日

いまを生きる 小沼大八

座法(六)

挿絵(M.Kikuchi)
わが善友に、水を飲んでもふとるという肥満体質をもった、和尚がひとりいらっしゃる。いかんせん、和尚と申す生業(なりわい)には、法要の時はもちろんのこと、なにかと正座がつきまとう。

2016年05月17日

いまを生きる 小沼大八

座法(五)

挿絵(H.Mizumoto)
座は行儀をうるさくいう。そんな座る作法をいま仮に、座の文化と呼んでみよう。親ガメの背にのる子ガメのように、仏教文化の背中にのって、わが日本まで渡来した、インド文化のひとかけらではあるまいか。前回はそんなよしなしごとをいささか書きつづってみたつもりだ。

2016年05月10日

いまを生きる 小沼大八

座法(四)

挿絵(M.Nyuunoya)
およそ、自分のこころほどわれわれにとって、手に負えぬものはあるまい。もとより、心理学などという学問を学んだぐらいで、理解のとどく相手ではないのだ。わたしのものでありながら、決してわたしの思いどおりにならない。

2016年05月02日

いまを生きる 小沼大八

座法(三)

挿絵(E.Kudou)
こころとからだの関係は本来、どんなしくみにおいて成り立っているのだろうか。最近の医学や哲学が出合っている新たな課題のひとつである。

2016年04月22日

いまを生きる 小沼大八

座法(二)

挿絵(K.Nishikawa)
どこでなにをするにしろ、こころ落ち着いて事に当たることほど大切なことはあるまい。こころが散乱していては、よい智恵なども沸くはずがない。

2016年04月14日

いまを生きる 小沼大八

座法(一)

挿絵(M.Shigematu)
教師という職業柄、日頃、若者たちとよくつき合う。時には、タタミの上に同座する機会などにも恵まれる。そんな時、いつも気になることがひとつある。かれらの座り方である。

2016年03月15日

いまを生きる 小沼大八

玄奘(四)

経文(きょうもん)が二、三冊、片隅にひっそり重ね置かれている。ごくありふれた仏壇のたたずまいだ。

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