2017年11月07日
一遍さんは何遍も念仏を唱えているうちに胸から湧き上がるものを感じました。自然に手足が動き出して、体全体が躍り上がりました。一緒に念仏を唱えていた者たちも踊り始めました。
うれしくて、涙を流して踊りました。我を忘れての踊り念仏でした。
2017年09月29日
このたび、坂村真民記念館館長 西澤孝一氏が、『かなしみを あたためあって あるいてゆこう』致知出版社 を出されました。
本書の「刊行に寄せて」は、臨済宗円覚寺派管長 横田 南嶺氏が賛辞を寄せられております。以下に一部を抜粋いたします。
2017年09月20日
これはほんの一例ですが、一遍さんの信者はだんだんと増えていって、一遍さんを中心にした教団の形ができてきました。これを時(じ)衆(しゅう)といいましたが、一遍さんと一緒に旅をして修行するものも、しだいにふえました。
2017年09月08日
捨聖といわれた一遍さんは平安時代の市(いち)聖(ひじり)と呼ばれた空也(くうや)上人を慕っておりました。「ただ身を捨ててこそ」の空也上人の心が、すなわち、一遍さんの心であったのです。
2017年09月05日
熊野の峰を下りた一遍さんは、身も心も軽々と本当の捨て身の旅に出たのです
2017年09月01日
気がついてみると童子たちが、可愛い手をそれぞれ出して、「その念仏下さい」と、いって札をうけとり、透きとおるような声で口々に「南無阿弥陀仏」を合唱して、いずこともなく去っていきました。
ここで、智真は、名を一遍と改めます。
2017年08月31日
三十六歳の智真は愛憎の古里を後に黒衣を風になびかせて、はるかな白い道へと、歩を進めるのでした。
2017年08月30日
これを見ていた智真は、「まはせばまはる。まはさざればまはず、われらが輪廻(りんね)もまたかくのごとし」(こまはまわせばまわる。まわさなければまわらない。私たちの、この迷いの世の中もまた同じことなのだ)と、悟ったのでした。
2017年08月29日
一遍さんの先祖には次のような人々がおりました。
2017年08月28日
一遍さんは延応元年(一二三九)二月十五日、伊予(愛媛県)に生まれ、名を松(しょう)寿(じゅ)丸(まる)といいました。