一遍と今をあるく

哲学カフェ一遍

6南無 岡田顕三翁 (五)

(五)

話題は拡がって、高間さんの卒論の話に飛火した。

『僕は英文には関心があっても、英語そのものはあまり好きではなかった。市川親父(市川三喜教授)の所へ行って、英語で書いたものを読んでいた日には間尺に合わない。普通の学生以上に、英文学そのものは、翻訳で勉強しましたので、卒業論文も日本語で立派なものを書こうと思ってるんですが、よろしいでしょうか、と恐るおそる伺いを立てたら、三喜が顔色を変えてね、

「そんな馬鹿な。だめだよ君。今まで英文の学生で日本語で卒論を書かせと言ってきたのは君が初めてだ。許可しません、英文で出したまえ」と来たのには閉口したよ』。

『でも卒業されたんだから、結局英語で書かれたんでしょう』と私が言うと、ジョッキをテーブルに置いたまま高間先輩が胸を張った。

昭和八年には思想事件に連座して検挙され、後に転向した高見さんだが、あけすけで、実に惚れぼれするような好青年だった。

それから何回かコロムビアで高間先輩に会った。いつ会っても愉快な人だった。

『僕は最近、何だかんだとうるさいから、有楽町の蚕糸会館という新しいビルの一室を借り切って、書いてるんですよ。一日二円五十銭だが、落ちついていいですよ。どこにいるか誰も知らないから、人も来ないし』と言われていたのも、ほんの昨日のようだが、あれから四十年の歳月が流れている。