9 南溟の友スジョノ君
(一)
現在の東京外大は、もと、東京外国語学校と称する専門学校で、戦中には外事専門学校と改称されていた。旧校舎は宮城のお濠の北端、竹橋の近くにあった。その辺りは昔、竹町と言われていたが、現在では一ッ橋一丁目となっている。今のパレスサイド・ビルやリーダーズ・ダイジェストのビルはこの学校の旧敷地に建っているわけである。
昔の校舎は木造バラックで老朽もよいところだった。廊下などにも穴があいていたりして、注意して歩かないと足を突込むおそれがあったし、薄汚ない天井からは五燭か十燭の裸電球がぶら下がっていて、しかもそれが埃だらけときているのだから、どう見ても、天下に名だたる東京外語の建物というにはあまりにもお粗末だった。しかもそれでいて、全国各地から、語学に興味をもった俊英(1)が馳せ参じたことを思うと、まことに隔世(2)の感がある。
学校はお濠に向かって南面しており、正面に平屋建の本館があった。そこに校長室、事務室、職員室、音声学研究室があった。職員室といっても、ただ横長い大部屋が一つあるばかりで、英語、仏語、スペイン語といった語部ごとに、かためて机が並べられており、教員全員が雑居というかたちである。
片隅で中国語の宮越先生が張さんを相手に話をしているかと思うと、また別の隅では、ロシヤ語のブブノバ女史が八杉先生や除(よけ)村先生と談笑しているといった具合で、語部ごとに会話の言葉が違うのだから、いかにもなごやかではあるが、まことに異様な風景で、さながら国際会議のロビーといった印象を受けた。
[1] 才能が人々より特にぬきんでてすぐれていること。また、その人。英俊。俊秀。
[2] 世を隔てること。時代を異にすること。