一遍と今をあるく

哲学カフェ一遍

聖職の碑

聖職の碑

 

3/28の「中国」一面に栃木県の県立高校のスキー場での事故が報じられていた。「共同」配信らしく、記者名がない。記事を読むと、事故に遭ったのは山岳部の生徒で、当日の朝、降雪があったため、登山を中止、ラッセルに切り換えたところ雪崩に巻き込まれたという。生徒は山岳部の12名(うち7名が死亡)と教官が2名(うち死亡1名)となっている。

 

私は高校時代、山岳部にいたことがあるので、状況が目に見えるようにわかる。記事を読むかぎり、これは春に起こりやすい典型的な「表層雪崩」だと思う。引率・指導教官が未熟だったとしか思えない。他紙の続報では、雪崩が発生して、ラッセル(雪わけ行進)中の生徒と教師を襲うまで、たった6秒だったという。(「ラッセル」はラッセル機関車のラッセルと同じ。)

これでは雪崩発生後に回避するすべはない。なぜ表層雪崩が発生する恐れがあることを予測できなかったのだろう?

 

〔追記〕4/2(日)「時事」が伝えるところによると、発生時刻は遅れたが、同じ栃木県の別の県立高校山岳部も同じスキー場で8人が雪崩に巻き込まれていた、という。

http://www.jiji.com/jc/article?k=2017033100972&g=soc

 

死者を出した「大田原高校山岳部」は第1班として先発し、第2班の「県立真岡高校」の生徒8人が、第1班が遭った雪崩から派生したとみられる別の雪崩に巻き込まれた。

<旅館にいた県高体連登山専門部の委員長で、現場責任者だった大田原高校山岳部顧問の猪瀬修一教諭(50)は記者会見で、事故当時旅館にいたが、無線を一時手放していたことを明らかにしている。>そうだ。

事件は「業務上過失致死傷」の疑いで、栃木県警が捜査しているという。

 

それにしても死者の実名報道がなぜないのか不審に思った。「週刊新潮」や「週刊文春」が売れるのは、調査の上に犠牲者の実名を明かすからである。そのかわり、両誌はしょっちゅう名誉毀損裁判をおこされている。それが面白いから買う読者もいる。

 

ふと新田次郎の名作「聖職の碑(いしぶみ)」を思い出した。大正2(1913)年の夏休み中に木曽駒ヶ岳で起こった高等小学校(今の中学校)の生徒と教師の遭難事件を小説にしたものだ。1960年代、教育学部の学生にとって必読書になっていた。

この登山隊は、想定外の大雨と暴風に見舞われ、多くの生徒と教師が犠牲となった。

この作品はハードカバーで読んだが、今は文庫で読めるし、映画化もされている。

 

日教組の「教師=教育労働者論」が盛んな頃は、「教師=聖職」否定論が唱えられ、この言葉には人気がなかったが、私は、これは生徒の命をあずかる教育者の「倫理と責任」を強調した言葉だと考えている。山本周五郎の「赤ひげ」と同じものだろう。「医は仁術」でないといけない。宇和島徳州会病院の万波誠医師にひげはないが、メタファーとしては「現代の赤ひげ」だ。

測候所に勤めていた新田は、天気予報の重要性もこの作品で訴えたかったのだと思うが、表に出ているのは「聖職」と当時呼ばれていた教師の責任感の強さである。

 

新田次郎は、妻の藤原ていが「流れる星は生きている」(中公文庫)で、「満州」から朝鮮をへて日本に引きあげるまでの苦労を手記としてまとめ、これが戦後に大ベストセラーになったことに刺激されて、筆名で小説を書きはじめた。            新田 次郎

息子の藤原正彦は数学者で留学記や随筆を書いている。