一遍と今をあるく

哲学カフェ一遍

玄奘(四)

経文(きょうもん)が二、三冊、片隅にひっそり重ね置かれている。ごくありふれた仏壇のたたずまいだ。

もっとも、近頃は仏壇の備えのある家自体、すっかり影をひそめてしまった。なにしろ、われらの大方が名にし負うウサギ小屋の住人なのだ。祖先供養のスペースひとつ、仲々もってままならぬ。

といった次第で、当節は仏教ブームとかで、理屈っぽい仏教書がよく売れるわりに、お経に親しむ機会など、われわれの生活からすっかり遠のいてしまった。

とはいうものの、機会があれば、時にはお経など、手にとってごらんになるのもまた一興か。けだし、仏典はすべて、かの流砂の沙漠をこえて、はるばるインドから伝わった、ホトケのメッセージにほかならないのだ。それを伝えた先人たちの苦労を思えば、すこしはアリガタ味が身にしみよう。

といったわけで、多少の辛抱を伴うものの、たまにはお経の世界にこころを遊ばせてごらんになるがよろしい。

玄装4 なにしろ、読み始めると驚いたことに、これが滅法オモシロイのだ。思えば、釈尊ほどの人生の達人がウンチクを傾けて説かれた説法なのだ。無味乾燥なはずがない。そもそも、道学者の説教のように、固苦しいだけが仏説ならば、だれが一体そんな言葉に、耳を傾けたりしようものか。

ちなみに、お経はその筋立てからしておおむね、釈尊とその弟子たちとの問答によってつづられているのだ。その構成からしてすでに、それは一篇のドラマなのだ。

以前記したことを再度くり返すようだが、古来、中国へ伝わった仏典はおおむね、サンスクリット(梵語)というインド語で書きつづられていたのだ。しからば、お経のもつ本来の魅力を損なわぬよう、それを漢訳したひとたちが、いかに言葉の選択にこころを砕いたことか。

いま、その苦労の一端を、玄奘三蔵に即してしばらく垣間見てみるといたそうか。

ちなみに、かれの訳業の成果は、それこそ全土から召集された大勢の碩(せき)学たちの協力の賜物と言ってよいのだ。

原典が正しく漢訳されているか否かを検討する協力者たちがいた。証義大徳という。漢訳された文章を整える碩学たちがいた。綴文(てつもん)大徳という。字句の修正を受けもつ碩学がいた。字学大徳という。そしてさらに、証梵語梵文という、長たらしい職名の大徳もいた。訳されないまま、漢訳経典のなかに挿入された梵語や梵文を検証する目付である。

かくして、仏典の漢訳はどの巻にも、かくも大勢の手が加わって、いく重にも言葉の洗練が試されているところが得がたいのだ。お経が殊のほか名文となるゆえんである。

いつも思うことながら、いかんせん、日本仏教の問題点のひとつに、あの読(どきょう)の仕方が挙げられはしまいか。なにやら思わせぶりに、和尚が音吐朗々とお経を頭から棒読みに音読する。古来、わが国仏教界にあまねく定着した読誦法である。

しかも、漢文と和文では、文章の構文がまるっきり異なるのだ。いくら習いとは申せ、あんな読み方をされたのではチンプンカンプン、なんのことやら意味などわかる道理がない。しかも、そんな読経がアリガタイとは、思えば、日本仏教も変な風習を育てあげたものだ。

言ってみれば、お経を読む側も読んでもらう側も、共に言霊(ことだま)にしてやられているのだ。けだしわが日本列島には古来、言霊というバケモノが棲みついているのだと思ってほしい。しからば、せっかくのお経もわが国に伝来するや、たちまちこの言霊にとりつかれてしまったのだ。

結果として、意味の解読などあらずもがな、ひたすら、読経の音声ばかりに功徳が仮託されることになる。

いかんせん、これでは玄奘のせっかくの訳経の苦労も、まったく報われぬ沙汰ではないか。もったいないにもほどがある。せっかくの仏説なのだ。ひとびとに意味が理解されて始めて、お経もその本来の面目が立とうというものだ。

といった趣意に立って、浅学をかえりみず、昨春来、月に一度づつ、仏典講読の講座を開いている。関心ある方は足をお運びくださるがよろしかろう。