一遍と今をあるく

哲学カフェ一遍

サーペント、プリンス・ロイヤルが来る

二十三日午後一時に測量船のサーペント号が恵比須崎の沖にしばらく繋留したあと、間もなく出帆。それに水先案内をつけます。水先案内は日振島の沖で待機する。それと同時に日振島の山に島の人が登って二十四時間見張る態勢をとっている。九島山頂に狼煙(のろし)場(ば)をつくって、船が見えたら狼煙を揚げ、揚げたら恵比須台場から号砲を撃つ。撃ったら松根図書はじめ待機している者が枡形(城から直接海に出入できる入口)から鯨船というちょっと頑丈な大きな船に乗って出て行くことにした。

二十四日午後五時二十分にプリンセス・ロイアルとサーペントが入港します。二時間ほど前から来ることが分かっていたから、お上り場沖の鯨船に乗って松根圖書はじめ井関、田手、圖書の息子の内蔵、三瀬周三らは待っている。

また一方、萩森権助が鰹節を十連二台、三方に乗せて―鰹節をイギリス人はどうしますかね、御客への作法なのですね、これー待機する。

このときに、五代才助が「実はイギリスが薩摩に行ったけれども、薩摩で西洋料理を食わされて辟易したと。もう純粋な日本式でやられた方がええです」と言って、松根図書に連絡があったらしいのですね。その手紙は見つからなかったけれど…。それで百パーセント純粋に日本式でやって、かえってそれが喜ばれた。

それともう一つは、薩摩の西郷らは、やはり幕府と戦争をするつもりですからね、長州と組んで。だからパークスが行った時にも、パークスをなるべく味方に付けようとして、西郷隆盛みたいな、暴力団の親分みたいなのが出てきてパークスとやり合っているわけですよ。だから政治向きの話がメインだった。先にも言ったように、パークスは大英帝国を代表している。サトウのように薩摩一辺倒ではなかった。

権力を持っている島津久光そのものが徹底した毛唐嫌いなんです。「ウィリアム・ウィリスの診察を受けるぐらいなら、わしは死んだほうがよい」と言ったといわれています。極端な西洋嫌い。だから宇和島藩みたいには心の中まで通うようなことはなかったらしい。

宇和島の町中、家の中が空になって、みんな山に登ったり、濱に出たりして見物したといわれています。

 

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            井関齊右衛門の 「英人上陸手当覚」①

 

 

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            井関齊右衛門の 「英人上陸手当覚」 ②

 

 

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          井関齊右衛門の「英人上陸手当覚」 ③