一遍と今をあるく

哲学カフェ一遍

8 「鉢の木」に通った頃 (一)

8 「鉢の木」に通った頃 

 

(一)

 

本郷の電車通りは今でこそ殺風景だが、昔は、それなりの趣があった。大学の正門前には右に万藤のフルーツ店、左に路地を隔てて机や本箱を売っている店があった。この家具屋から本郷三丁目に向かって歩くと、大橋書店という古本屋があり、次に八百屋があった。余談で恐縮だが、ある年の大晦日に前記の家具屋の店主と八百屋の親父が賭け将棋をやり、挙句の果ては家具屋の惨敗で数十円の借りができた。恐妻家の家具屋は女房がやかましいから、こらえてくれと嘆願これつとめたが、そんなことで承知する相手ではない。八百屋は実力プロの四段格。家具屋が組し易しと見たのが運の尽きで、とうとう界隈の弥次馬までが集まって大騒ぎになった。そこへ割って入り、穏便に和解させたのが大橋の主人である。一時大橋の息子の勉強を見てやったこともあり、店主とは懇意だったが、なかなかの人物である。この人は、この商売に入る前に、屑屋の反古[1]の中から一冊の本を拾い出し、それが金田一京助先生の鑑定で価千金の寄覯(こう)[2]書であることが判明し、大儲けをした。その金を元手に、先生の薦めで正門前に店舗を構え、一代で産をなしたのである。そこの番頭に豊田君という僕とほぼ同年輩の青年がいたが、実直な人柄で、よくぼくのための言語統計などを作るとき、算盤をおいてくれた。後に暖簾分けをしてもらって、近くに『豊田書店』を開いた。彼は終戦後、防空壕で水浸しになった古書を買い集めていたが、僕が戦災で本を全部焼いてしまったことを話したら、僕の専門分野に関する本に仮表紙をつけて、数冊送ってくれた。『昔のよしみで読んで頂けたらうれしいです』といって、どうしても代金を受取ってくれなかった。それから間もなく豊田君は亡くなったが、今もその本を見るたびに、同君の好意が身に沁みる。

 

[1]  書画などを書き損じて不用となった紙。

[2]  滅多にみられないこと。珍しいこと。