一遍と今をあるく

哲学カフェ一遍

8 「鉢の木」に通った頃 (二)

8 「鉢の木」に通った頃 

 

(二)

 

大橋書店から二、三軒先に『鉢の木』というレストランがあった。界隈一流の洋風食堂だったが謡曲の鉢の木とは別に関係はない。むしろ謡曲とは逆で、ここは高価だった。最低のものを食べても、学生食堂の五倍もとられた。ただ週に二回だけ、梵文[1]の福島先生のお伴をして、他の副手[2]の連中と一緒にこのレストランに足を運んだが、福島先生(現、辻直四郎名誉教授)から何かと有益な学問上の話が聴けたので、いつも授業料だと思って、先生の驥(き)尾[3]に付して鉢の木へ行った。

鉢の木の常連は仏文の辰野隆教授と鈴木信太郎助教授だった。中島健蔵先輩も当時副手をされており健ちゃん、とか『ケンチ』という愛称で呼ばれ、なかなかの人気者だった。仏文の人達が来ていると、われわれもその人達と同じテーブルに着いた。仏文はみんな愉快な人ばかりで、談論風発[4]、とくに辰野先生は話術にたけ、よくみんなを笑わせた。『大学の教員と乞食は三日したらやめられないよ。ねえ君、たんまり本が読め、週に二回もゴルフに行けるし、ワハッハッ』。

当時、辰野教授は金田一先生の後を承けて、東都学生将棋連盟の二代目会長になり、初段を允許(いんきょ)[5]された。『ねえ、僕みたいに、将棋なんてろくに知らない者に初段をくれるから困るんだよ。そこで一策を案じて、「安南将棋」をやることにした。実はこれは鈴木君の発案だけどね』。『鈴木さん、どんな将棋なの』と自分は指さないが将棋に詳しい福島先生がたずねると、『全部の駒が直後にある駒の機能を帯びる。例えば、飛車の頭の歩は飛車の働きをするから、先手だと、その歩がいきなり敵の角頭へ成り込む。すると、角は桂の前にあるから桂馬に3四角と歩の上に逃げる。みんな錯覚を起して混戦になる―それが面白いんだ』と鈴木さんが説明する。なぜ安南というのかと聞くと、辰野先生は、『日本にないから出鱈目につけた名称だよ』と笑われた。とにかく、こんな調子で鉢の木では、福島先生は学問の話ばかりだったが、仏文と合流すると、屈託のない四方山話に花が咲いた。

 

[1]  梵語で書かれた文章や経文。

 

[2]  旧制大学で、助手の下位に置かれた職。現在の正称は教務補佐員。

 

[3]  すぐれた人に従って行けば、何かはなしとげられる。先達を見習って行動するこ

とを、へりくだった気持ちでいう言葉。

 

[4]  談話や議論が活発に行われること。

 

[5]  許すこと。許可。免許。