一遍と今をあるく

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朝鮮半島地図

朝鮮半島地図

 

朝鮮半島の情勢が緊迫している。北の核実験/核ミサイル発射についていろんな報道があるが、発射基地については「核実験を巡っては、米ジョンズ・ホプキンズ大の北朝鮮分析サイトが、北朝鮮北東部・豊渓里にある核実験場でいつでも実施できる状態と分析」(4/25「共同」)といった調子で、「豊渓里」の位置がわからない。

ついにたまりかねて、スライド式書架の奧にある「朝鮮半島全図」を机上の本立てに移した。この地図は折り畳み式(マップ)で、表が朝鮮半島全図、裏に平壌市街図とソウル市街図が載っている。日本海に面する朝鮮半島には、日本の「県」に相当する「道」という行政区があり、北朝鮮の東側には北から「威鏡北道」、「威鏡南道」、「江原道」の3つがある。

韓国には同様に「江原道」、「慶尚北道」、「慶尚南道」がある。道や里は李王朝時代の「択里志」にも出てくる行政単位だが、「日帝支配」時代にどうなっていたか、今は調べるゆとりがない。「江原道」が北と南にあるのは中央部を南北分割の北緯38度線が通っているためだ。

(元もと北緯38度線により朝鮮半島を南北に二分し、北をソ連軍が南を米軍が統治するという案はマッカーサーが提案し、ソ連が受諾したものだ。だがその後、北と南に2つの民族政府が誕生し、1950/6北朝鮮軍が奇襲攻撃により南に侵攻して朝鮮戦争となった。

マッカーサー指揮下の国連軍は北朝鮮軍を鴨緑江まで押し返したが、精鋭の中国軍が参戦したため、逆に南に押し返された。1951/7に板門店で休戦会談が始まり、北朝鮮軍と国連軍は現位置で停戦に入った。1953/7に「休戦協定」が調印されたが、北と南の国境は板門店の西側では北の領土が韓国に突出し、東側では韓国領が38度線以北に拡大したものとなった。)

問題の豊渓里(ブンゲリ)は、威鏡北道西の自然境界をなす「摩天嶺山脈(標高2200m)」の東側山中のくぼ地にあった。ここに地下核実験場があり、南東に約60Km離れた海岸部・舞水端(ムスダン)里にテポドンの発射基地がある。「里」は村の意である。

ところが平壌の北約90キロの位置にある平安北道・寧辺(ニャンピョン)には「寧辺原子炉」があり、これを挿むように「泰川(テチョン)」、「价川(ケチョン)」という2つの空軍基地がある。平壌のすぐ北には別の「順川(スンチョン)空軍基地」が置かれている。これは首都防衛のためと思われる。

ある報道によると、黄海につながる「西朝鮮湾」に面したこの平野部諸都市に、ICBM、核弾頭の製造・組立工場が集中しているという。

従ってトランプが北朝鮮への報復攻撃をするなら、MOABを用いて、威鏡北道と平安北道の発射基地と原子炉・軍需工場をターゲットとせざるをえないだろう。

〔付記〕4/26朝の「MSN産経」によると、米軍は<北朝鮮の弾道ミサイルに対処する最新鋭迎撃システム「高高度防衛ミサイル(THAAD=Terminal High Altitude Area Defense missile)」の砲台やレーダーなどを、韓国南部の慶尚北道星州郡にある配備先に搬入した。>という。THAADの経費約1000億円の支払いを米から求められて韓国はパニックだ。

「朝鮮半島全図」を見ると、星州(ソンジュ)は洛東江西岸の町で、東岸には「倭館(ウェガン)」という町がある。真東には約35キロ離れて大邱(テグ)市があり、東西と北に山がある盆地で、米軍基地を置くには適している。「日帝時代」には大邱に医専があり、日本人も朝鮮人も差別なく学べた。日本はソウル帝大の医学部と大邱の医専と、医師養成学校を2つも朝鮮に建設したのだ。

ニューヨークで国連安保理が開催中の4/29早朝、挑発するように北朝鮮が平安南道「北倉」(プクチャン)の基地から弾道ミサイル1発を打ち上げたが、空中爆発したという。

報道されたミサイル発射基地や自走砲の演習場の位置を「朝鮮半島全図」にプロットしてみると、北朝鮮全土にわたり、低い山に囲まれた場所にこれらの基地が設けられているのがわかる。4/16に発射に失敗した短距離ミサイルは発射基地が報じられていないが、やはり内陸部の可能性がある。

朝鮮戦争の時に、北朝鮮軍は大砲をトンネルに隠し、米軍を砲撃する時だけ外に出し、撃ち終えるとまたトンネルに隠したので、米軍に甚大な被害が出ても大砲の位置を把握できなかった。この戦訓を北朝鮮は生かして、北朝鮮には未発射の秘匿した発射基地がまだまだあるだろう。今は複数の偵察衛星があるので、トンネルから発射台を引き出せば3Dの画像としてトンネルも発射台もミサイルも把握可能だが、軍事機密として韓国も米軍も公表しないのだろう。