一遍と今をあるく

哲学カフェ一遍

日本のあけぼのー伊達宗城公の足跡をたどるⅧ

その八 堺事件 二

   情念を変えさせるのはむつかしい

堺事件は不思議な事件だった。その真犯人の姿が見えないのである。

たしかに、手を下したのは堺守備を担当していた土佐藩士なのだが、なぜ、事件が起きてしまったのか。森鴎外の小説をはじめ、フランス水兵がいたずらをした、土佐藩の旗を盗んだ、と後付けの説明はいくつかあるのだが、無抵抗の十一名を、一方的に執拗に惨殺する根拠としては弱すぎる。宗城公の『御日記①』(図参照)でも、それを下敷きにして書かれた大岡昇平『堺港攘夷始末』(図参照)でも、水兵の挑発行為が確認されていない。

それはそのはず、真犯人は、

「西洋人は神州日本を汚す獣狄だ」

とする脳の中の情念だったのだから。このことは、神戸、堺、京都の三大攘夷事件に共通している。しかも、この三事件はそれぞれが偶発的に起きたのではないことに注目したい。堺事件は神戸事件に、パークス攻撃事件は神戸事件と堺事件に誘発されているのだ。欧羅巴人を襲うことが武士の正義だったわが国では、イスラム国を見ても判るように、情念を変えさせるのはむつかしい。

堺事件隊長箕浦猪之助の漢詩が、彼の情念を率直に表している(下段は意味のみ)。

 

題洋人航海図

 

瀛海茫々天水交 大洋と天が溶け合い

 

中看一葉破鯨濤 黒船鯨波を押し渡る

 

三竿峭帆連天黒 三本マストに曇る天

 

百丈蒸烟蔽日高 蒸煙は高く天焦がす

 

蛮国詐謀夙難測 野蛮人は何を企むか

 

廟堂筹策必應労 朝廷は対応を知らず

 

異時或有弾丸贈 弾丸攻撃しきたらば

 

聊報氷霜日本刀 氷仞を振るって応戦

 

猪之吉が、かつてご隠居山内容堂へ呈上したもので、表題は容堂が与えたとされている。腕をさすって構えている猪之助の様子が目に見える。

そもそも明治維新という革命のエネルギーは、下級武士、郷士クラスの封建体制への鬱屈不満が爆薬となり、尊皇攘夷が導火線となった自爆テロからほとばしり出たものだった。

文久期以降の長州藩などは、藩を挙げて尊皇攘夷の自爆テロに精を出した。いい線までは行ったが、最終的には、島津久光などの荷担がなければ、まず失敗したに違いない。

そのことは、王政復古の大バクチの立役者岩倉具視がしみじみと述懐している。

慶応四年四月十二日、宗城公が、大坂行幸で下阪した岩倉などを招待して一席を設けた。 すでに徳川慶喜も隠退し、公家女官の反対を押し切って、天皇を大坂へ連れ出すことにも成功した岩倉は、

「御一新がこの様に平穏に整ったのは不思議だが、国内にこうなる条件が熟していたとしても、薩長の功績が最も大きい」

上機嫌で、こう自画自賛したと『御日記②』にある。

「事を起こすのが上手くいっても、それを維持するのが大変だよ」

すかさず宗城公が創業守成の談論を展開して釘を刺しているのも『御日記②』の読みどころの一つである。