一遍と今をあるく

哲学カフェ一遍

6南無 岡田顕三翁 (九)

(九)

 翁は苦労人だった。若いころ、栃木から東京に出られ、夫婦で品川に、間口二間くらいの小店を出され、軒先に釘を打って、針金を幾束か吊るして売っておられたとのことで、赤貧洗うがごとき艱(かん)苦[1]に満ちた生活だったが、それから藤倉電線の一翼を担うに至るまでの長い辛酸の歳月は形容を絶するものがあったと高間さんから聞いている。

翁の郷里は水戸学の影響で、古来、学者を崇敬する土地柄であるが、それに加えて、岡田さんの場合は、盤(ばん)根(こん)錯節(さくせつ)[2]に真正面から斧鉞(ふえつ)[3]を打ち込むような人生の苦闘の中で体得された独自の学問観があり、人生観があった。家庭教師を玄関で迎えるくらいのことは、誰だって真似られる。しかし、岡田翁は誠実一路、その物腰や言辞の中に、なにか人の心を打つものがあり、そこに言い知れぬ尊いものを感ぜしめた。高見順も僕も同じように、岡田翁の人柄に心服した人の仲間である。

 

[1]つらいことと、苦しいこと。

[2]わだかまった根と入り組んだ節の意で、込み入って処理するのに困難な事柄。

[3]おのとまさかり。