一遍と今をあるく

哲学カフェ一遍

6南無 岡田顕三翁 (八)

(八)

束脩(そくしゅう)[1]の額が高いので、お返ししようと思い、高見順さんに相談に行った。『僕も大分世話になったんだが、君も遠慮なくもらったらいいよ』という。子息の勉学のこともあったかも知れないが、後で考えると、『あの貧乏書生を見放しては、あれも生活に困るだろう』という配慮もあってのこととありがたく思っている。多年岡田家に出入りしたが、その間、ご夫婦揃っての玄関での挨拶を欠かされなかったことは生涯忘れえぬことである。これは翁の実直な人柄によるものだが、同時に、未熟な私への無言の教訓でもあった。地位や財産では翁にまさる人も無数にいただろう。しかし、一切の虚飾を取り去って、裸の人間として見たとき、果たして岡田翁のような人が幾人あるか。

謝礼をいただくときにも、必ず半紙にお菓子を少し包み、それに月謝袋を添え、お盆にのせて女中が鄭重に差出した。翁自身が私に手渡されなかったのも翁の心遣いだった。

 

[1]入学、入門の際に弟子・生徒が師匠に納めた金銭のこと。