宿毛藩のばあい
面白いエピソードですが、高知の場合どうだったか。
高知で言うと、まず宿毛藩ですが、サーペントが七月二日に宇和島を出て、その足で宿毛に寄って測量をするんです。
これは『宿毛人物史』です。明治百年を記念して出された本で、昔、宿毛図書館で買ったものです。ここに書いてあることは間違いないですね。
サーペント号が宿毛安満地湾で測量していたら「異国船が来た」「早速打ち払いだ」と言うんで、竹内綱が葉っぱみたいな小舟で行ってみたら、大きな大きな軍艦で、「こんなものと戦争したら負けるに決まってる」と言って、ノコノコ船に上って行ったものの言葉が通じない。小さい和英辞書があったらしく、それで会話して、酒が出て―その酒はスコッチウィスキーかなんかでしょうね。飲んでベロベロに酔っぱらって帰ってきた。そうしたら殿様や家老らから叱られた。
竹内は宿毛藩の重臣です。叱られて叱られて…、「切腹だ」と言われて謹慎させられる。それから二、三日するとサーペントが須崎に寄って、「土佐本藩はこれを丁重に扱った」という情報が来て、やっと竹内は切腹せずに済んだ。
この人のご子息が吉田茂で、イギリス派の外交官として、東条にやられたのです。息子さんは吉田健一で、英文学者として、ウイスキー賛美者としても知られていました。現在の副首相・麻生太郎財務大臣は吉田健一の子ですから吉田茂元首相の孫にあたります。
竹内綱という人は「いざ攘夷でもやるぞ」と勇ましい。しかし勇ましくもあったけれども賢い人だった。これはダメだと思ったらパッと妥協する。 麻生にそういう賢さがあるかどうか、今から十年程度経たんと分からないと思います。
竹内綱の弟さんは明太郎といって、小松製作所(現コマツ)をつくった人です。また、「日本は工業立国だ」と言って土佐に、日本に先駆けて工業学校をつくられた