一遍と今をあるく

哲学カフェ一遍

トルコ情勢

7/16の「トルコ軍による反政府クーデター」についてのGoogle Newsには本当に驚いた。

「オスマン・トルコ帝国」は第一次大戦の時に、ドイツと同盟を結び参戦したが、敗戦によりその命運が尽きた。

現在の「トルコ共和国」を樹立したのは、1920年、初代大統領に就任したケマル・アタテュルクである。亡命時代の館が、現在ギリシア・テサロニケ市に「トルコ大使館」として保存されている。この時、ケマルは「脱イスラム、世俗国家路線」に踏み切った。

トルコ地図トルコは永年、「EU加盟」を求めて来たが、それを阻んだのは「死刑存続」と「イスラム教徒が多数派」という理由だったように思う。(死刑については2002年に一旦廃止したが、EU加盟はまだ実現していない。トルコはEU加盟を断念し、死刑を復活させる可能性もある。)

だが、まさかそのトルコで、軍による「反政府クーデター」が起こるとは思ってもいなかった。

元来トルコ人は人種的には中央アジア起源のアーリア人である。イスラム教の波及に伴って改宗したもので、ハム系のアラビア人とは起源が異なる。

「イスラム原理主義」の影響が、トルコ軍にも波及したのかと思うが、シリア内戦に始まる中東危機がトルコにまで波及することを大いに危惧している。幸いクーデターはトルコ政府より、早期に鎮圧されたようだが、中東の不安要因がまたひとつ高まったと思う。

これが「第三次世界大戦」のきっかけの一つにならないように、切に願う。

識者によっては第一次大戦後、オスマン帝国領の分割を定めて、英仏の秘密条約「サイクス・ピコ協定」に現在の中東情勢不安の起源を求める意見もあり、「IS」も「領土をサイクス・ピコ協定以前に戻せ」と主張しているという。

私はトルコ軍部の起こした軍事クーデターとその後のエルドアン首相の徹底した弾圧ぶりが、昭和11(1936)年に発生した「2・26事件」によく似ていると思っていた。あれは昭和10年8月の陸軍軍務局長・永田鉄山斬殺事件をきっかけに、陸軍内の「皇道派」と「統制派」の対立が激化し、近衛師団の皇道派青年将校がクーデターを起こし、高橋是清大蔵大臣を含む重要閣僚を暗殺した事件だ。

この事件を「統制派」軍官僚は、軍による政治支配のために徹底的に利用した。「軍部大臣現役制」が導入され、予備役の軍人は陸海軍大臣に就任できなくなった。「天皇の統帥権」も強化されたので、軍予算に大蔵省が関与できなくなった。統帥権を盾に、軍部大臣を辞任させれば内閣打倒も簡単にできるようになった。

この事件を契機に、日本の中国での戦争拡大には歯止めがかからなくなった。そうした中で頭角を現し、「軍・官僚複合体」の独裁者として登場してくるのが、東條英機という統制派のリーダーだった。

トルコは遠い国だが、戦前のあのクーデターと今回の軍事クーデター未遂とその後の展開はよく似ている。全国紙で両事件の類似性を指摘・論評するものが一紙くらいあってもよさそうなもの、と思っていたら、7/20毎日「余録」が同趣旨の論評を載せていて、少し溜飲を下げた。

エルドアンが軍の粛清だけでなく、死刑制度を復活して、拘束された7500人の司法関係者や1万人に上る一般公務員にまで威嚇・統制政治を行うなら、それはもう立派な独裁制である。

プーチンのロシアの南下政策、クルド人の自治独立問題に、エルドアン独裁体制がからむと中東情勢はいっそう不安となるだろう。当面トルコ情勢から目が放せない。