慶応二年六月、やってきたのは三隻の巨大軍艦
プリンセス・ロイアル号は長さが七十四メートル、幅が十八メートル。パークスが乗ってきたサラミス号は長さが六十八メートルと余り変わらないが、幅は八・二メートルです。プリンセス・ロイアルは古い型の軍艦ですから排水トンは大きい。伊達家の本には三千百二十九トンとあり、三千五百トンと書いてある本もあるのですね。馬力は四百馬力、乗組員は八百五十人、七十四門の砲を備えています。サーペント号は長さ五十七メートル、幅八・四メートルと小さい測量船ですが、後で述べるように宿毛に行ったときには「お化けみたいな船だ」と言って大騒ぎになる。
やって来た連中は公使のパークス、パークス夫人、息子と娘、バイス・アドミラル(副提督)のジョージ・キングなんです。この写真の人物はジョージ・ヴィンセント・キング。これが島津の殿さま、島津茂久、維新後の忠義です。この人が小松帯刀と言われています。プリンセス・ロイヤル号で一緒に来た医者のウイリアム・ウイリス、アレクサンダー・フォン・シーボルト。それからトーマス・グラバーが来ていますが、これがいわばこのミッションの張本人なんですね。自分の金儲けもあるから張本人。
英艦乗り組みの面々
アーネスト・サトウもこの年末、別に来ています。この人の書いた『一外交官の見た明治維新』(岩波文庫)という有名な本があります。
では、宇和島にきた人たちについて簡単に述べます(次回)。