パークス・圖書の行動はすばやかった
さて、慶応二年(一八六六)に戻りまして、五月十三日に江戸で「江戸協約」を結んだパークスは、その足で長崎に来る。六月四日においねさんが、「松根図書がたまたま〈天保録という名の蒸気船〉を買いに行っておったから長崎に居た」というのは半分は嘘で、おそらく、前もって図書が五代と元治元年の年末に会っていますから、その辺でおそらく話が煮詰まっていたのでしょう。これは想像ですけど。圖書はこの後、天保録に乗って帰りますから、ボロ蒸気船を買いには来ていたとしても、パークスからの連絡を待っていた、待ち構えていたわけですよ。
六月五日、アレックスを鳴滝に訪ねた圖書
丸山遊郭のあたりの「煙草屋」というのが図書の定宿です。日記を見るとそこで五代らと酒ばかり飲んでいる。おいねがやって来て「弟のアレックスが会いたい」と四日に言って来て、五日に「待っていました」とばかり図書はアレックスの鳴滝邸―父のシーボルトが学校を構えていたーに行くわけですよ。
五日、ハリー・パークスが長﨑奉行・能勢大隅守に宇和島行きを通達
そしたらアレックスが、「最大の戦艦を見ないか、二度とは見えないよ」と探りを入れるわけです。その時点ではもうプリンセス・ロイアルは、世界で一流じゃなかった。二流の戦艦だったけど大きい。古い戦艦だったからかえって大きく、威圧感があった。
圖書がOKしたので、待ちかまえていたパークスが直ちに長崎奉行の能勢大隅守のところに行って、「宇和島に寄るかも分からないから、紹介状を書け」と依頼します。五月十三日に「江戸協約」が結ばれていますから、幕府としては断ることは勿論出来ない。「自由に各藩は貿易をしていいんだ」という協約を結んでいますから、それを踏まえてパークスは動いています。この時、江戸協約について解説した老中からの手紙を、パークスは能勢に渡しています。大変合法的にやっているわけですね。その辺はパークスや訓令を出すクラレンドン英外相(この年の陽暦七月六日、陰暦では五月二十四日にトーリーのスタンリー卿と交代)などイギリスの大変賢いところですよ。
それでも能勢は自分の権限外だとか何だとか言って紹介状までは書きません。
この日、長州戦争勃発
この五日に〈長州戦争〉が勃発です。松山が大島に戦争に行ってめちゃめちゃに負ける。大島の民家に火をつけたり、婦女を殺したりして…。戦争犯罪扱いにするわけですよ、戦争反対の藩は。宇和島藩ももちろんこの件で幕府に非難書翰を出したと「龍山公記」にあります。
七日圖書・大隅守会談で圖書は奉行の口達覚「英艦宇和島寄港についての依頼書」を獲得
七日に図書が長崎奉行に会ってゴチョゴチョやるわけです。長崎奉行は「イギリスが宇和島に行く」との話をパークスから聞いた時に、顔色が変わったと言われている。ある程度予測はしとったでしょうけれども、パークスへは宇和島藩への紹介状など拒否した。それで図書が乗り込んで面白おかしくやるんです。これは『龍山公記』に詳しく書いてあり面白いですが、この記事は「松根圖書文書」の引き写しです。
松根図書が、お互いに笑いながらの交渉で、結局はイギリス軍艦が瀬戸内海を上がると危険だ、丁度戦争をしていますから下関は…。
「それしかなくなったので豊後水道を上がります。宇和島に寄るかも分からんから、行ったら水や炭を出してやってくれ」
という口達書を奉行はついにイヤイヤ圖書に出すわけです。
松根図書によれば、「計画はある程度あったけれども、笑い笑いやった話なんだよ」と書いていますね。
「江戸協約」なんか結んでいるから、時代はどんどんどんどん開国へ進んでいってきている、ということです。
八日圖書長﨑出帆、十一日圖書帰帆
八日に天保録が長崎を出ているから。天保録を買いに行ったことになっている。―実際そうだったのでしょうが。天保録に乗って図書は十一日に宇和島に帰っています。
二十四日、プリンセス・ロイアル号来宇
二十七日、サラミス号来宇
そうすると、二十三日にサーぺント号が宇和島にやって来て、停泊地を測量してすぐに、「明日プリンセル・ロイアルが来ますよ」というだけ言い残して、パッと帰ってしまう。
二十四日にはサーペント号とプリンセス・ロイアル号が宇和島に来ます。
二日おいて二十七日、サラミス号が来ます。ロッシュとパークスは「幕府と長州の戦争を何とか回避」しようとして、この二十五、二十六日の間に政治的な努力を長州でやるんですけれど、結局失敗して、パークスが下関から二十七日に宇和島にやって来る。
二十九日と一日大嵐、七月二日朝三艦出帆
二十八日に船は帰るつもりだったのが、大嵐になって二日ほど足止めをくったということで―この辺は『龍山公記』に詳しく出ています。ただこの公記の中にはちょっと間違いもあるし、ダブっている部分もあり、編集としては余り丁寧じゃないなという印象を受けています。
参考文献
石井孝 『増訂明治維新の国
際的環境』
萩原延寿 『遠い崖–アーネス
ト・サトウ日記抄』
ウイリス『幕末維新を駆け抜
けた英国人医師』
「龍山公記」 慶応三年六月
「宗城あて五代才助書簡」