一遍と今をあるく

哲学カフェ一遍

里山の夕暮れ

4/10(日)は新聞書評を読み、めぼしいものを切り抜いた後、16:00前から「文藝春秋」5月号を読みながら、母屋のベランダで過ごした。リビングの硝子戸の滑りが悪いので、外階段からアプローチした。西側の繁みの中で、ウグイスが盛んに鳴いている。音源の方向から判断すると二羽か三羽がいるようだ。鳴き声もさまざまで「ホーホケキョ」と鳴くのがいれば、「ケッケケッケケッケッ、……ケキョケキョ、ホーホケキョ」と鳴くやつもいる。

難波先生 鳥「声はすれども姿は見えず、ほんにお前は屁のような」

亡き父がウグイスの声を聴く度に口にしていた、ざれ歌を思い出す。それらしい小鳥が水平にチョコマカと移動するのだが、とても望遠カメラで撮影するチャンスがない。

庭の西側には檜や杉やドングリの樹や竹の繁みがあり、ここは通常は鳥のねぐらになっている。夕方、外を歩いていると「ピーチク、パーチク」とやかましく小鳥の鳴き声が聞こえる。家内はあれを「鳥の寝くじ」と称している。子供が寝る前に、泣いて「くじ」をくるのと同じ現象だという。

私は小鳥にも言語があり、あれはその日の情報交換をしているのだと考えているが、確証はない。

17:00過ぎにカラスが一羽戻って来て、高い檜の頂上にとまった。この位置なら撮影できると思い、カメラを構えたらすぐに気配を察して、飛び去った。通常はここで泊まるのだが、今夜はよそに行ったようだ。

17:30分になったら、ピタリとウグイスの声がやんだ。するととたんにすぐ脇を流れている小川のせせらぎが耳に響くようになった。「1/Fゆらぎ」音で、まことに心よい。残照を利用して「文春」5月号の残り記事のめぼしいものを読んだ。

石原慎太郎「角さんと飲んだビール」も、

座談会(鳩山邦夫、朝賀昭、増山栄太郎、御厨貴)「日本には田中角栄が必要だ」

も面白かった。

私は立花隆の「文藝春秋」記事が田中首相辞任をもたらした、と考えていたが、この座談会発言によると、朝日の児玉隆也による同じく「文藝春秋」記事「寂しき越山会の女王」で、「へそから下のこと」を書かれたのが大きかったと初めて知った。

だったらあのロッキード裁判をめぐる、「立花隆vs. 渡辺昇一」大論争はいったい何だったのか?

塩野七生の連載随筆「日本人へ・156」を読んだら、終りに「3月19日口述」とある。え?!と思い、4月号を読みなおすと、「2月半ばに散歩中に転んで右手首を骨折し、電話で口述筆記した」とあった。骨粗鬆症による手関節部の骨折だろうか?いずれにしても老人だから治癒までに2ヶ月はかかるだろう。完全治癒して機能障害が残らないことを祈る。

右利きでIT機器を駆使していないとすると、原稿の手書きになるから、代替策は口述筆記しかない。だがこれも難儀なことだ。筆記語彙数(ライティング・ボキャブラリー)と発語語彙数(スピーキング・ボキャブラリー)は異なるからだ。

(この点を斎藤孝「語彙力こそが教養である」角川新書は、まったく理解していない。)

今野浩「介護終わって終活始まる」という随筆も面白かった。19年間難病の妻を介護し、5年前に妻が70歳で亡くなった後の「東京工業大学名誉教授」の一人暮らしぶりを淡々と綴ったものだ。

「いつまでもあると思うな、親と金」というのはよく言われるし、映画「東京物語」では「親孝行したい時には親はなし。さりとて墓に布団も着せられず」という三男の台詞が出てくるが、これらに落ちているのが「その命」だと思う。人は無限に生きられるかのように生きている。

平均寿命と平均健康寿命の間には男で9年、女で12年の差がある。これらが「要介護」年数である。今野氏の妻は合計5000万円の国庫給付を受けたことになるという。これでは国家財政がもたない。私はもう男の平均健康寿命71歳を通りこしたが、いまのところ健康だ。

だが、「明日ありと思う心のあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」ともいう。PPK(ピンピンコロリ)ならそれでよい。しかし万一に備えて、措置しておくことが必要だなと最近思うようになった。もちろんこれには「在宅医療」の方法や経費も含まれる。

いまの母屋は主寝室と浴室・洗面所を2階につくったので、万一寝たきりになったら、1階の仏間を寝室にするしかない。そうなると1階に浴室・洗面所を増設する必要がある。「マイナス金利」時代だから、資金は工面できるだろう。後は自費で看護師/メイドを雇う方法だ。これにもいろいろなやり方がある。月給方式、奨学金方式、外国人雇用などだ。幸い口が達者なら(つまり脳梗塞にならなければ)、英語で会話はできるので、選択肢は広がる。

白洲次郎の「葬式無用、戒名無用」。あれはいいなと思う。

先日、PSA発見前立腺がんの従兄弟(86)のところに立ち寄ったら、健康に異常はなかったが、「終活」の話が出て、寺の住職が「わし限りで寺を廃寺にする」という宣言をしたという話を聞いた。葬式の経費も値下がりが激しく、経済的に成り立たなくなったという。

あの住職は確か門徒が奨学金を出して龍谷大学だかに留学させたはずだが、いまや合併時5000人いた三和町も、昨年末で3000人を割ったそうだ。門徒より先に、住職が逃げ出す時代になった。