一遍と今をあるく

哲学カフェ一遍

プリンセス・ロイヤル号はどんな戦艦だったのか、その意味は?

 パークスの砲艦外交が孝明天皇の安政条約勅許と江戸幕府の改税協約を引き出した

 

ロイヤル船

香港に碇泊する英極東艦隊旗艦プリンセス・ロイアル号 慶応三年

プリンセス・ロイアル号というのは、こういう型をしておりまして、特徴は大砲が七十四門あって、甲板が二重になっている。セブンティフォー・ガンズ、ダブルデッカーというのがこの型の特徴で、実はこれは一、二世紀程前に、イギリスやフランスなどの艦隊が戦争するときに使った船です。十九世紀のこの頃には、もう時代遅れの船だったんですが、ただ、図体だけはデカイものでした。

宇和島に来たプリンセス・ロイアル号というのは―プリンセス・ロイアルという戦艦には五世代あり―宇和島に来たのは四世代目です。この巨大な図体で砲艦外交をやって、つまり兵庫湾まで四か国の戦艦をズラーと並べて、家茂と孝明天皇を脅迫したわけですね。「安政条約を受け入れないのなら、軍隊があがるぞ」と言って脅したわけですよ。

それで家茂は震え上がって、「もう将軍を辞めます」「将軍は慶喜に譲ります」と言って、江戸に逃げ帰りかけたら、慶喜が慌てて追いかけてきて「まあまあ待ってください」と言って、孝明天皇の所に行き「天皇がこの条約を認めんのなら、わしは腹を切る」と言って、実際にそんな芝居じみたことまでやったと言われています。それで孝明天皇も震え上がって安政五カ国條約を認めた、いわゆる條約の勅許ですね。ここでやっと、開国が緒についたのでした。

それともう一つ、「江戸協約―改税約書」と言われる條約を慶応二年(一八六六)五月十三日に幕府から取る。要するに貿易を自由化して日本人は自由に海外に出て行って―つまり完全な開国ですよね―これを幕府が五月十三日に認めます。その中に「灯台を置け」とか、「造幣所をつくれ」とかいうような日本の近代化のスケジュールをちゃんと入れている。

本当にイギリス人というのは、ずるいというか賢いというか、ちゃんと英国が必要な条項を入れています。日本政府をある意味ではがんじがらめに縛っていっているわけですね。

そういうことで、パークスの強引な外交によって日本が事実上の開国にふみきったのです。改税約書の締結が慶応二年の五月十三日というのを覚えておいてください。

江戸協約(改税約書)・・・完全な開国と近代化

慶応二年五月十三日パークスの努力で締結された

①大名の貿易代理人への制限撤廃

②すべての日本人が外国船を購入する自由

③旅券制度の下で日本人が海外へ渡航する自由

④日本人が、政府の許可を得て、外国技術者を雇用し、外国機械を使用する自由

⑤保税倉庫の設立、又は払戻し税制度

⑥諸港、瀬戸内海や海岸線に灯台設置

⑦自由な造幣所設立

⑧日本産物が通過税、関税以外の税を課せられない約束