一遍と今をあるく

哲学カフェ一遍

B.ラッセルと3つの情熱―「愛」について

B.ラッセルは、1872年に祖父が首相を2度務めたようなイギリスの名家に生まれ、1970年に97歳で死去した。若くして数学・論理学の分野で輝かしい成果を残したが、反戦論者として、ケンブリッジ大学を追われ、1918年には、4か月半の間、投獄されている。1938~40年にシカゴ大学やハーバード大学に哲学教授として招かれたが、反キリスト教的言動が問題視されてアメリカの大学を追われ、日々の生活に窮するほどであった。1944年にイギリスに戻り、その後、哲学・思想の分野で多く著作を残し、1950年には、ノーベル文学賞を授与されている。ラッセルは、自由の圧殺よりは、資本主義的民主主義を求める人であったが、核戦争や人類の未来に強い危機感を持つ行動の人であった。

ラッセルは、『自叙伝』(1967~69年)において、生涯を通じて「3つの情熱」が自分の行動を支配した、と述べている。それは、「愛」への憧れ、「知」の探求、そして苦しい境遇にある人々への耐え難い「心の痛み」である。

今回は、「愛」への憧れについて述べてみたい。ここでの「愛」とは、異性への愛を意味している。深い愛の結び付きの中に、聖人が想像し、詩人が歌い上げてきた神秘的で美しい、まるで天国のような世界を見出すことができた、と述べている。ラッセルは、お互いの信頼にもとづく異性間の深い愛の結び付きが、人間の幸福にとって、とても大切なことと考えていた。『幸福論』の中で、

russell最も望ましい形の「愛情」とは、お互いが生命(いのち)を与えあい、喜びを受けあうことによって、周囲の人や多くの人々の幸せをもたらすような「愛情」であり、片方だけの快楽や社会のことには無関心となり、2人だけの世界に閉じこもるような感情は、支配欲や自己中心欲に過ぎず、むしろ人を不幸にするものである、と述べている。

ラッセルは、22歳で5歳年上のクウェカー教徒の女性と結婚し、最後の結婚は、80歳のときであった。ラッセルの人類の未来を思う情熱は衰えず、89歳にして核政策への抗議行動で2度目の投獄をされている。終わりにあたり、80歳で結婚した妻、エディスに贈ったラッセルの言葉を引用したい(意訳)。

「エディスへ  年老い、人生の終わり近くになって、私はあなたとめぐり会うことができた あなたとめぐり会うことによって私は心からのよろこびと安らぎを見出すことができた 長い孤独な歳月の後に、私は人生とは、愛とは何かを知ることができた 今、死の眠りを迎えるなら、この上ない充たされた思いで眠りにつくことができます」