一遍と今をあるく

哲学カフェ一遍

礼儀について

あの人は「礼儀正しい」とか、「礼儀を知らない」といったことばをよく聞く。

礼儀とは、一体、何であろうか。『論語』の中で孔子は、「礼」の根本は、相手を敬う心であると、という意味のことを述べている。私は、孔子の生涯についてよく知らないし、『論語』についても、若い頃に、拾い読みした程度である。

礼儀img492『論語』については、碩学(せきがく)の方も多い。これから述べることは、私なりの「礼儀」の一部についての考え方に過ぎない。

私は、「礼儀」とは、相手に対する思いやりの心、相手を敬う心を形(かたち)にしたものであると思う。たとえば、「俺、お前の仲」と言われるように、親しい友人に「お前」というのは、必ずしも失礼ではない。しかし、親しくもない、場合によっては、対立する相手に「お前」・「お前達」というのは、相手を見下した表現で、大変失礼であるだけでなく、その人の品性も疑われる。

『論語』の中で「礼」について考えさせられることがある。弟子の顔回(顔淵)が40歳という若さで亡くなった。顔回は、質素な家に住み、粗食に甘んじ、ひたすら学問に打ち込み、徳を積み、同門の人からも愛されていた。顔回が亡くなったとき、孔子は、「天は、わたしをほろぼしてしまったか」といって嘆き悲しんだ。その悲嘆の様子は、慟(どう)する(動作に異常を呈する)ほどであった。また、門人達は、孔子が反対したにもかかわらず、顔回に対して手厚い葬儀を営んだ。私は、孔子の言動も弟子達の行動も「礼」に反していないと思う。孔子の生涯は、恵まれたものではなかった。その生涯の多くを門人達と諸国を周遊し、苦難に会いながら自分を重用してくれる国があれば、その国の政道を正す自信も能力もあったが、政治にかかわることは少なかった。71歳という老境にあって、顔回こそが自分の思想を体現し、後世に継承してくれるものと考えていたと思う。その顔回が才能を世に認められる前に若くして逝ったのである。顔回の悲運と後継者を失った嘆きの言動に、師として、人間としての孔子の真情が感じられる。門人達の行動は、当時の慣習や師の反対を押し切るほど、顔回に対する心からの思いやり、尊敬の念が強かった結果であると思う。師と弟子、友人間の関係は、このようなものでありたいと思う。

人間は、何百億年の歴史において、親子の愛情、思いやりの心、仲間への団結心、創造への欲求とともに、支配への欲求、仲間以外への敵対心、闘争心といったものを受け継いでいる。人間が存続・発展するためには、お互いの社会的な協働関係を改善し、自然と共生していくしか方法はない。そのために、「礼儀」や「礼」の現代的な意味について考えてみることも大切ではないだろうか。