一遍と今をあるく

哲学カフェ一遍

相 対

 この言葉は「そうたい」とも発音されるし、「あいたい」とも呼ばれる。

もともと遊廓で客の相手となる女郎を「相方(あいかた)」と呼んだのが始まりである。江戸幕府は「心中」という言葉を禁止したので、庶民はこれを「相対死」(あいたいじに)と呼ぶようになった、「相対尽く」とは当事者同士が合意して行うことをいう、と「岩波・広辞苑」にある。

(近松門左衛門の代表作に「曾根崎心中」、「心中天網島」、「心中宵庚申」があるが、いずれも発禁になっていない。「広辞苑」の説明は不可解だ。

その後「三省堂・大辞林」を見たら「元禄=1689〜1704:頃から心中が美化される風潮が起こったため、幕府が心中に代えて使わせた語」とあった。これならわかる。近松の作品はほぼ元禄時代のもので、しかも大阪で刊行されている。つまり門左衛門は流行を作り出した側なのだ。)

ところがこの「相対」という言葉は明治22年刊の大槻文彦「言海」(ちくま学芸文庫)にはない。どうも彼は花柳界の語彙には弱かったようだ。「岩波・古語辞典」にも「相対」はない。

 

「あいたい」も「そうたい」も「新潮社・新明解語源辞典」、「小学館・語源大辞典」、「東京堂・日本俗語大辞典」に載っていない。わずかに「ミネルヴァ・日本語源広辞典」が「相対」=「そうたい:相い向かう(中国語)」という語釈を載せているだけだ。

「岩波・広辞苑」は「あいたい」に「相対」「相対死」「相対尽」などを収録しているし、「そうたい」に「相対」「相対論」「相対性理論」などを取り入れている。哲学的概念としての「相対」と「絶対」の説明も上手くなされていると思う。

 

こうしてみると、日本語学者のほとんどは、ずいぶんいい加減な「辞書作り」をしているな…と思う。

アインシュタインアインシュタインの1905年論文(今日では「特殊相対性理論」と呼ばれている)の原題は「動いている物体の電気力学」であった。(アインシュタイン「相対性理論」岩波文庫、前書き)。

1905年は、日本の明治38年であって、日露戦争の講和条約「ポーツマス条約」結ばれ、漱石の「吾輩は猫である」が発表された年である。

その頃、この論文を理解できた日本の物理学者が誰で、「相対性(Relativity)」という概念が理解できたのが、誰と誰だったのかは、分からない。

「三省堂・大辞林」には「相対」の語の初出例が載っており、北村透谷(1868-1894)「日本文学史骨」における「慰藉という事は…何物にか相対するものなり。」という文が初用例だという。

念のために「青空文庫」の「北村透谷・日本文学史骨」をチェックしたが、「彼(福沢諭吉)は平穏なる大改革家なり、然れども彼の改革は寧ろ外部の改革にして、国民の理想を嚮導(きやうだう)したるものにあらず。此時に当つて福沢氏と相対して、一方の思想界を占領したるものを、(中村)敬宇先生とす。」という文脈での用例しか見つからなかった。この「相対」は「あいたい」と読む。

福沢諭吉と中村正直(敬宇)を比較して、外部改革では福沢が優れていたが、国民に与えた思想的影響では中村が勝っていたという論旨である。この「相対」の用例は「ペアー」の概念に近い。

 

高校時代に使っていた「英和辞書」など、別の使い方があるとは思わず、とっくに破棄してしまったが、唯一残っている「研究社・和英辞典」(昭和8年刊)には「Sotai」という項があり、「相対性原理」が「The theory of relativity」となっている。したがって1933年には「相対性」という日本語があったとわかる。彼の「一般相対性理論」発表は1916年、「光電効果」論文(1905)に対してノーベル物理学賞が授与されたのが、1922年(但し1921年分として)である。彼は同年(1922=大正11)、40日余にわたり日本を訪問している。

滞日中にノーベル賞受賞となったので、いやでもその知名度は上がったと思われる。よって「相対性理論」という言葉もこの頃に生まれたと考えられよう。「Relativity」が「相対性」と訳語されたいきさつは知らない。

 

「相対」が元は廓言葉であったことは先に述べた。これを「そうたい」と読み、性科学の研究に利用した人物がいる。福島県出身の小倉清三郎(1882-1941)である。

1913年に雑誌「相対」の刊行を始め、会員から性体験の告白を集めて、掲載した。清三郎は昭和16年に早死にしたが、愛媛県出身の妻のミチヨは夫の死後も「相対」の刊行を続け、1967年に死亡している。(下川耿史・編「小倉ミチヨ・相対会研究報告」ちくま文庫)

小倉ミチヨの性体験を綴った上記の手記は、ローレンス「チャタレー夫人の恋人」やサド「悪徳の栄え」が原文通りに読める現代では、大した内容といえないが、大正末期から昭和の初めにかけては、性の民俗誌・科学は本格的研究対象になっておらず、それなりに貴重である。

 

子供の頃、雑誌などで「相対性」という言葉を見かけると、理論物理などまったく分かっていないから、「相対・性」と字面解釈して、エッチな気分になったのを思い出す。

そういえば「相性」と血液型に衰えない人気があるのは、血液型というものがさっぱり分かっていないからではないか、という気がする。これについては「ヘルスプレス」に続篇を書いておいたので、お読みいただければと思う。

http://healthpress.jp/2016/02/post-2239.html

いや「相対」の話がずいぶん脇にそれた…