一遍と今をあるく

哲学カフェ一遍

8 「鉢の木」に通った頃 (四)

8 「鉢の木」に通った頃 

 

(四)

 

会の当日、私は役目柄一時間早く鉢の木へ行った。顔なじみのボーイが、お一人様先へ見えています、というので、慌てて二階に駆け上って見ると、これはこれは、余人ならぬ岡倉由三郎先生(既出)である。

『ああ、八木さん、今日はお世話になります。他に用があってこちらへ来てたもんですから、早過ぎました。一つどうです。前々からあなたとは一局お願いしたいと思っていたんですが、今日は幸にまだ時間がありますから、私のヘボ振りをご披露させてもらいましょうか』といとも鄭重(ていちょう)[1]な挑戦を受けた。早速ボーイに盤と駒を持ってこさせ、手早く駒を並べた。鉢の木には榧の五寸盤があった。

『弱い方が、また若輩でもありますので、私が先手をもたせて頂きます』。一楫(しゅう)して、7六歩と突いた。先生は実に楽しそうに、3四歩を角道を開けられる。当時流行の『相掛り』戦だ。『先生には山上御殿で前かたお叱りを受け、今日はまた将棋で虐(いじ)められる、全くたまらないなあ』と合の手を入れながら駒を動かしていると、『そうでしたか。八木さん、それが師弟というもので』と言いながら先生は角を打たれた。アッ王手飛車だ。結局角を合わして、飛車は捕られたが、僕の角が成って桂香を取ることになった。素人将棋に飛車の威力は絶大だ。敗衄(じく)[2]を覚悟して長考していると、階段を上がってくる人の足音。日本の英学界に君臨した市河三喜先生だ。岡倉さんは小声で『市河先生がお見えになった。また他日指しつぎましょう。私の敗けです』と駒を置かれた。私は私で、『いやこちらの完敗です。次の機会にまた』と二人で駒を仕舞った。その後、岡倉先生は程なく幽界[3]に旅立たれたので決戦は来世までお預けということになった。岡倉先生の静かな駒音や、立教の米人教師で一局に四,五時間も長考する人がいるという盤側の話などが、先生の温容[4]とともに、春雨の頃ともなるとそぞろになつかしく郷愁をそそるのである。

 

 

 

[1]  丁重。礼儀正しく、手厚いこと。また、そのさま。

 

[2]  戦いに負けること。敗北。