8 「鉢の木」に通った頃
(三)
高等師範の教授で石黒魯(どん)平(ぺい)という先生がいた。高師の寮監を兼ねておられて、学生からも慈父のごとく慕われた方だった。専門は英語学だったが、昭和初葉[1]から十二、三年頃までは日本の言語学界は、プラーハ学派の擡頭(たいとう)[2]に刺激され、音声学・音韻論万能の時代だったので、先生もまた斯(こ)の道を探(たん)尋(ぼう)[3]され、日本の音声学界でも知名度の高い方だった。たまたまこの石黒先生が台北高校の教授として赴任されることになり、その壮行会をたしか昭和十年の三月に、言語学関係の先生方が中心となって、鉢の木で催すことになった。私が幹事役を仰せつかり、市河、橋本、金田一、神保といった言語学出身の諸先生のほかに、なお何人かの英語や音声学畑の諸先生に案内状を出した。
[1] ある時代を三分したうちの初めの一時期
[2] 頭をもたげること。勢力を増してくること。
[3] 社会の出来事や実態をその現場に行ってさぐり歩くこと。