一遍と今をあるく

哲学カフェ一遍

7 印度青年キショール君 (三)

7 印度青年キショール君 

(三)

昭和の初期以来、小石川の『大学書林』という出版屋から、『英語四週間』とか『仏語四週間』といった、いわゆる『四週間叢書[1]』が出されていた。大戦の初期に、アジア主義の勃興[2]に伴って、同書肆(し)[3]もアジアの言語についても同様の出版を企画した。社長は静岡の産で、笹野という同郷の青年を外交係に使っていた。私が笹野に薦(すす)めて、トルコ語四週間を作ることになり、駒沢大学の大久保幸次教授に執筆方を取次いでやった。話の序でに、日本のビルマ作戦に呼応して、日印接近を図るべく、その一助として、『日印辞典』を編纂(さん)することを極力彼に慫慂(しょうよう)[4]した。社長も乗気だというので、私は僚友キショール君を推輓(ばん)[5]した。どこかの食堂で私は笹野にこの印度青年を紹介した。印度には一億以上の使用者のある言語が幾つもある。外語の印度語科で教えていたのは、ヒンドスターニ語といって、西部印度、つまり現在のパキスタンの回教徒の言語である。しかるに、ガンヂー一派の国民会議派が正式の公用語として採用したのは、梵語(ぼんご)[6]の直系であるヒンディー語であり、ヒンドスターニとは文字も全然違う。幸いにキショール君はヒンディー語の中で育った人だから、ぜひ大学書林で、日印親善のためにも、キショール君を優遇して、立派な辞書を早急に上梓(し)[7]せよと笹野の尻を叩いた。頁数の限界もあり、一年足らずでキショール君は脱稿[8]、笹野が受取って社長と相談した。数日後、笹野から電話があり、キショールと小生とを迎えに行くという。

[1]  同じ種類の事柄を集めた一連の書物。シリーズ。

[2]  にわかに勢いを得て盛んになること。

[3]  本屋。書店。

[4]  そばから誘い、すすめること。

[5]  人を推挙すること。

[6]  古代インドの文章語、サンスクリットの別称。

[7]  書物を出版すること。

[8]  原稿を書き終えること。