一遍と今をあるく

哲学カフェ一遍

7 印度青年キショール君 (四)

7 印度青年キショール君 

(四)

笹野は早稲田の江戸川橋近くの小料理屋に二人を案内した。戦中のこととて、タコの煮付けくらいしかなかったが、それにしても著者を遇する[1]にはあまりにもお粗末。結論的には、キショールの辞書に『電車』という語が出ていないから、出版を見合わせたいという社長の戯言(たわごと)を取次ぎ、弁解にこれつとめる笹野である。僕は卓を叩いて笹野を面詰[2]した。『馬鹿も休み休み言え、トルコ語にだって電車はない。「トラムワイ」と英語を訛(なま)っているだけだし、アイヌ語だって、時計は日本語の「トケイ」で間に合わせている。同じアジア人のキショールに違約[3]によって恥をかかすことは日本人の信用問題だ』と憤懣(まん)[4]をぶちまけた。多少は書林の方でも反省はしたらしいが、具体的にどう始末がついたかは、間もなく空襲に怯える明け暮れとなり、私も出征したので知る由もなかった。戦線でも悪夢のように、キショールのことが私の胸をしめつけた。昭和廿三年、清水の東海大予科に在職中、上京した機会にたまたま日比谷の交叉点で電車を降り、眼前の、出征前に勤務したビルの窓を茫然と眺めていたところ、『八木先生ではありませんか、キショールです。』という声に、ふと我にかえり、声の主の方を見ると、立派な背広姿の彼が私に手を差しのべた。熱涙[5]にむせぶ二人はしっかりと手を握りあったまま、二人とも声が出なかった。

『戦争中は本当にお厄介になりました。ご親切は忘れておりません。現在私は進駐軍で数学の教官をしています。従前[6]とは反対に、今は私の方が有利な立場にいますから、私のできることは何でもさせてもらいます。ご遠慮なく言って下さい』。二人の話は続いた。話すうちに、『ああここに印度人の心がある。アジアの心がある』と感激にひたるうちに、またキショールの好意に感銘して、あらたな涙がこみあげてきた。

数日後、大きいアメリカ煙草の箱が清水に届いた。差出人は勿論片仮名で書いた『キショール』だった。

 

[1]  人を待遇する。もてなす。

[2]  相手面と向かってとがめなじること。

[3]  約束に背くこと。背約。

[4]  腹が立っていらいらすること。

[5]  あつい涙。非常に感動して思わず流す涙。

[6]  今よりも前。今まで。以前。従来。