一遍と今をあるく

哲学カフェ一遍

7  印度青年キショール君 (二)

7 印度青年キショール君 

(二)

ボース氏は在京印度人中の大親分で、印度人の後輩の世話もよくしていた。上記の諸氏は多かれ少なかれ、また、物心いずれにせよ、ボース氏の鴻(こう)助を受けた人達である。たしかこのボースさんの紹介だったと思うのだが、ある日、一人の印度青年が私を訪ねてきた。これが表題のキショール君である。背は私と同じくらいで、年恰好は私より少し上かなと思った。彼は憂国の志士ではあったが、最初は留学生として来日し、後には日本人を娶(めと)って、本郷東片町に居を構えていた。よく一緒に本郷の喫茶店へ行った。彼は礼儀正しく、言葉も慇懃[1]で、高貴な家系の子弟であることは一見して判った。チョータナグプールという印度東北部の町の出身で、犀(さい)利[2]な頭の持ち主だった。彼から、印度の伝統、慣習、生活、とくに、種(す)性(じょう)制(カーストのこと)などについて話を聞くのは、とても楽しいことだった。『朋あり遠方より来る』とでも言おうか。

『現在印度では物理は教えますが、実験はさしません。英国官憲によって厳禁されているのです。しかし、音楽だけは、在来の印度独特の音譜を使用し、西洋式の符号は絶対に受け容れません』といった英国の植民地教育の実態について、彼が熱弁をふるったことは断片的だが、私の記憶にはっきり残っている。

 

[1]  極めて丁寧なこと。礼儀正しいこと。

[2]  文章や才知などが鋭いさま。