一遍と今をあるく

哲学カフェ一遍

医学資料館あるいは医学博物館の役割

 

問題のCPCの患者は30歳の男性で、梅毒が生殖器から内臓や骨にひろがった第二期梅毒だった。当時は抗生物質もなく、砒素や水銀剤が治療に使われており、副作用がつよかった。レントゲン撮影もない当時のハーバード大附属病院のカルテから、一流専門医と病理学者が討議しながら、病名と病気を決める。結論は病名に間違いはなく、今日の基準では梅毒は二期でなく、三期であるという点だけが当時と違った。カルテが保存されていて、病理解剖記録が残っていれば、その所見からここまで言えるのである。

1821年というと、それから11年後にロンドンの「ガイ病院」で世界最初の病理医トマス・ホジキンが、後に「ホジキン病」と呼ばれることになる病気の病理解剖所見の6例を報告している。これは日本人にはまれで、欧米白人に多い悪性リンパ腫だ。

ホジキンはガイ病院に「医学博物館」をつくり、その初代館長もつとめた。報告6例のうち5例は病理解剖した臓器が保存され、パラフィン・ブロックがある。パラフィン切片の未染標本を1枚ずつ分けてもらい、呉共済病院の青木技師に染めてもらった。1例はリンパ芽球性の悪性リンパ腫で、他の4例はホジキン病と思われた。そのうち特徴的な巨細胞が出現している例について、CD15(当時はLeuM1と呼んだ)を染めてもらったら、ばっちり陽性の反応が出た。

この話を「雑誌ミクロスコピア」に書いたら、朝日新聞のOBである科学ジャーナリストに「150年前の標本から細胞の分化抗原を検出できるとは!」と驚かれたことがある。ホルマリン漬けの臓器やパラフィン・ブロックは病院における「もうひとつの文書館」なのである。

遺伝子工学の技術と併用すれば、故人の遺伝子を復元することも可能になると私は思う。

米国立文書館には、古い奴隷名簿も保管されている、アフリカ系アメリカ人のレックス・ヘイリー氏がベストセラー「ルーツ」を書いて、自分の祖先の部族を探り当てたのは、この名簿に基づく。

日本の国立、公立の病院は、「カルテ永久保存」をすべきだろうと思う。スキャナーで読み取り、電子化すればよいので、簡単なことだ。広島大学では「公文書館」をつくり、小池聖一館長(教授)が従来なら廃棄される運命にあった重要文書の保管を行っていて、外部の人にも必要な手続きをふめば公開しているので、ぜひ利用を望みたい 。

小池さんから「広島大学文書館紀要」の最新号が送られて来た。文書館が着実に充実して行きつつあるようで、嬉しい。献誌にお礼申し上げる。