一遍と今をあるく

哲学カフェ一遍

Ⅰ.独裁制と支持率

朴槿恵大統領の弾劾決議がやっと韓国国会で可決された。支持率5%程度で2ヶ月以上も権力の座に留まり続けた大統領も珍しい。

ムッソリーニは愛人のクララ・ペタッチと共に市民により処刑され、遺体は公共広場で逆さづりにされ、曝しものにされた。同じ運命を恐れたヒトラーは愛人のエヴァ・ブラウンを青酸カリ自殺させた後、エヴァと自分の遺体を完全焼却することを命じて、拳銃自殺した。ヒトラーに殉死したゲッベルス一家の遺体は、総統官邸のガソリン不足により、生焼けの遺体としてソ連軍の手に落ちた。

 

ルーマニアの初代大統領ニコラエ・チャウシェスク(1918-1989)は、妻で女優のエレナを「第一副首相」とし、自らはルーマニア共産党書記長並びに大統領として24年間、絶対的独裁権力をほしいままにした。だが1985年ソ連でゴルバチョフによる「ペレストロイカ」政策が開始されると、チャウシェスク独裁体制は後ろ盾を失い、89年軍と民衆による「ルーマニア革命」が発生し政権は崩壊した。ニコラエフと妻は逃亡したが、捕らえられて機関銃により公開処刑された。(映像はネットのどこかにあるはず。)

 

 

    チャウシェスクの墓

2007年、ルーマニアの首都ブカレストを訪れた時、チャウシェスク夫妻の墓地に行った。案内を頼んだタクシーの運転手君は革命当時ブカレスト大の大学生だったそうで、わざわざ駅の傍の広場に案内してくれ、「我々はここにバリケードを組んで闘ったが、軍隊に弾圧された」と往時の体験を話してくれた。一斉射撃を浴びながら、よくも生き残ったものだ。革命の死者は3万人ともいわれている。

ニコラエフの墓石は目立たないところにあり、献花などなかった。通りを隔てた別区画にはエレナの立派な墓石があり、献花がいくつかあった。ルーマニア国民がチャウシェスクとエレナを区別して、異なった感情を持っていることが知られた。

 

暗殺だの軍のクーデターなどという流血の事態を回避して、ともかく韓国の朴槿恵政権退陣の道が開けたことをひとまず慶賀したい。

 

 

  加藤達也記者

今年日本から「ジャーナリスト・オブ・ザイヤー」を一人選ぶとすると、それは「産経」前ソウル支局長・加藤達也記者(現東京本社編集委員)しか考えられないと思う。(加藤達也「なぜ私は韓国に勝てたのか:朴槿恵政権との500日戦争」産経新聞出版、2016/2)。

彼がこの本で書いたことが、ことごとく事実であることはこの10月以来の韓国検察や日韓メディアの報道で明らかとなった。韓国の多くのメディアがこの本をネタに取材していた。

ニクソン米大統領を辞任に追い込んだ「ウォーターゲート事件」(1973)では、「ワシントンポスト」紙のB.ウッドワードとC.バーンスタイン記者の暴露が凄まじい威力を発揮した。今回、日韓のメディアが「朴槿恵ゲート」とか「チェ・スンシル・ゲート」と書きながら、「言論の自由に対する最大の被害者」で、ゲートのほぼ全貌を自著で明らかにしていた加藤記者の功績をまったく取り上げないのは不公正だと思う。ひょっとするとそれは嫉妬心のせいではないか、と私は考える。