一遍と今をあるく

哲学カフェ一遍

スポーツ文化の振興で感動と笑顔を ~愛顔つなぐえひめ国体・えひめ大会に寄せて~

躍進著しい愛媛マンダリンパイレーツ

 

球団初の永久欠番

愛媛マンダリンパイレーツ(以下パイレーツ)で、弓岡敬二郎監督の背番号「77」が永久欠番となった。弓岡氏が来季から古巣オリックスで育成統括コーチを務めることになったためである。氏は平成二十六年から今季までの三年間監督を務め、球団史に残る功績を残している。特筆すべきは就任二年目の昨年、球団創設以来十年間の悲願であった初のリーグ総合優勝を成し遂げ、さらに「独立リーグ日本一」へと球団を導いたことである。今季も前期と後期を共に制覇し、リーグ総合優勝、ソフトバンク杯の四冠を達成している。平成二十八年十一月二十五日、球団は記者会見を開き、弓岡監督の実績を評価して球団への貢献を讃え、背番号「77」を永久欠番にすることを発表し、弓岡氏に記念品を贈った。

県民球団誕生秘話

ふりかえると石毛宏典氏が高松を拠点に創設したIBLJ(独立リーグ)四球団の分社化に伴い、パイレーツの経営を引き受けたのは、スポーツ文化振興の立場から石毛氏の取組みを応援していた星企画(株)の薬師神績社長である。しかし球団経営の現実は厳しく、累積赤字は年毎に増大した。

球団創設五年目の平成二十一年春、薬師神社長から相談を受けた当行の中山頭取は、県下の政財界、連合愛媛、マスコミ、金融機関、それに県・市の行政が参加する経営改革協議会を組織し、大局観に立った改革を行うようにアドバイスをした。また加戸守行知事はパイレーツの選手がひたむきに夢を追い精進する姿や選手の社会貢献活動を紹介し、「パイレーツの灯を消してはならない」というメッセージをさまざまな機会をとらえて発信し続けた。そして二十一年九月の県議会では、パイレーツへ三千万円出資することが満場一致で可決された。加えて松山市と二十の県下自治体も株主になることが決まり、県と合わせた自治体の出資額は六千万円となった。

これを機に、官民一体の球団にしようという気運がいっそう高まった。中山頭取が県内の民間企業にも経営参加を呼びかけた結果、七十社で一億円を優に超える資金が集まり、パイレーツの経営基盤は安定した。自治体が出資したプロ野球球団は日本ではパイレーツ唯一であり、パイレーツは文字通り愛媛県民の球団として生まれ変わったのである。

二十二年四月には、球団運営会社名を「愛媛県民球団株式会社」に変更した。加戸知事は「配当は感動で払って下さい。試合を通して県民に熱い感動を届けて下さい」と薬師神社長を激励した。(役職名は当時)

われらの球団へ

球団創設から十二年が経った今日、県民球団へ移行したときから、当行も県民球団にふさわしいさまざま支援をつづけている。シーズン当初の始球式では、本田元広頭取から球団へ愛媛県産米をプレゼントし、選手の体力づくりに一役買っている。運営面では年間を通してひめぎんグラウンドと筋力トレーニング施設を無償で提供し、チームの競技力の向上に貢献している。またパイレーツ応援定期預金やリーグ総合優勝に伴う金利のアップ等、営業面での連携やパイレーツを応援する日を設定するなど、全行あげての支援を行っている。

県内に十あるパイレーツ地区後援会の会長は、当行の中山会長が務めている。加戸守行元知事は後援会特別顧問として今も球団を見守り続けている。私設応援団「愛勇会」も熱烈な応援を続けている。日本唯一の県民球団であるパイレーツがこれから、NPBの広島東洋カープのように県民の暮らしの中にしっかりと溶け込んだ「わが町の球団」となり、苦楽を共にする「われらの球団」へと育っていくことが、県民球団パイレーツ生誕にかかわった人々の願いである。愛媛のスポーツ文化の振興を期して、私たちも惜しみない声援を送りたいと思う。