一遍と今をあるく

哲学カフェ一遍

書物離れ

2/28NHKニュースが<読書しない大学生は45% 過去最高。スマートフォンの1日の平均利用時間は155.9分で、なかには10時間以上利用していると答えた学生もいた>というから、紙本でなく液晶画面で文字を読むというのが主体になりつつあるのだろう。

 

「日経」には、「アラフィフ」の女性記者が、「スマホ老眼」になり老眼鏡を調達するという記事が連載されている。「眼鏡の里」といわれる福井県のある町まで出かけて自製の眼鏡フレームをつくるなど、面白く読んでいる。

スマホの使いすぎだと、紙本よりも近見視力を酷使するので、「眼精疲労」により遠見視力がてきめん落ちる。これは小学・中学時代の読書過多による「仮性近視」発生の仕組みと同じである。

私は最近では、PCの液晶画面は1メートル離れて読み、かつ操作している。だから、近見視力は新聞や紙本を読む時にしか使わない。もちろんスマホも利用しない。それでも終日、画面を読み、入力しているとやはり「眼精疲労」が生じるので、眼球マッサージをしている。

 

2/28「産経」、「時評文芸」欄で石原千秋(早稲田大教授)が「紙の本の終りが具体的に見えてきた」と書き、「出版界はこれから毎年100万人の購読者を失い続けることになる」と述べている。総人口の純減が毎年100万人という時代が来るから、読書率が飛躍的に向上しないかぎり、「読書人口の減少」はNHKの報道とあわせ解釈すれば、当然だろうと想う。

漱石ネコ1905年に雑誌「ホトトギス」に発表された漱石の「吾輩は猫である」など、面白さ・滑稽さで読ませるものの、中身はそうとう難解である。英語、ドイツ語、フランス語の知識がないとわからないし、英文学の基礎知識が理解に必要だ。

これを流行小説にしたのだから、漱石の力量は大したものだったと思う。

「書物離れ」を防ぐには、願わくば、メディアがそういう作家を発掘・売り出すことだと思う。つまり読書の質を上げることだ。