一遍と今をあるく

哲学カフェ一遍

坪内寿夫翁と大衆演劇

四国の大将から日本の再建王と呼ばれるようになった坪内寿夫翁に取材したのは、もう今から20年近く経った1997年12月である。その初めての出会いから2年後の1999年12月に翁は逝去した。それから4年半後の2004年8月、私は『夢は大衆にあり~小説・坪内寿夫』(中央公論新社)を出版した。生前、翁の関連本は30種類以上も世の中に出ていたが、自分の本当の思いや経営理念を正しく表現したものは一冊もない、と翁自身はつねづね私に語っていた。とくに坪内式経営やそのカリスマ性を批判した本が多く、政商、乗っ取り屋、恫喝者、偽善者、稀有の吝嗇家など悪口を書いた本ほどよく売れていたのである。

称賛本を書くつもりはいささかもなく、翁の常人では決して味わうことのできない巨(おお)きな人生ゆえの哀歓と、成功につぐ成功で巨万の富をもつまでになった事業家としての足跡を書いてみたい、と私は翁に話し、翁は了承されていた。月に二回くらいのペースで取材を始めて一年ほど経った頃、翁は脳梗塞で倒れ面会謝絶になってしまったのである。

坪内翁は、もう今の日本には決して現れることのない、人情の事業家であり、国の行く末を案じる国士であり、そして企業を私物化せず「綺麗で清貧を守り通した経営者」であった。億単位のポケットマネーを自由に使うことが出来るので、まさに門前市をなすほど、頼みごとを持ち込む人が絶えなかった。しかし翁が生涯情熱を注いだのは更生保護事業であり、倒産寸前の経営者や銀行から泣きつかれ、その誠の涙を信じて乗り出した企業再建であり、出身地の松前町や来島ドックの進出で企業城下町となった大西町の教育の振興と青少年の育成であった。

「まがったことはしとらん、いまに分かる、がまんせい。正しいもんが勝たいでなるもんか」とか「わしは金儲けなどしようとして働いたことはない。金は後から勝手についてくるんじゃ」、あるいは「善根をほどこさにゃ往生できん」といった翁の血肉となっていた勧善懲悪の思想や信念が、坪内翁の生家の芝居小屋「大坪座」で演じられた大衆演劇に由来するものであることは、理解していた。しかし私はその肝心の大衆演劇を観ることはなく、『夢は大衆にあり』を出版したのはかえすがえすも心残りであった。昔、松前の漁民や農民は五月、麦の穂が実るころ、大坪座がかける芝居を「麦芝居」と呼んで、暮らしの楽しみにしていた。坪内翁はそんな世界を身近にして育ったのだった。

版後も、いつか大衆演劇を観ないといけない、と宿題をしそこなった気分でいたところ、「奥道後壱湯の守」に大衆演劇の拠点「奥道後劇場」が開設されたことを知った。大學を卒業後、ホテル奥道後に就職し、ずっと坪内翁に仕えてこられた高瀬良顧問(前・奥道後壱湯の守総支配人)のお話しでは、奥道後劇場は壱湯の守と同様になかなかの好評で、休日は満席の盛況だとか。ホテル奥道後が賑わっていた昭和五十年代、園内には常設の映画館が二館あって、二本立て興行をしており、どちらも自由に観ることができたから、市内の映画館に行くよりも随分得をした気分になったのを私も覚えている。その映画館は取り壊され、ロープウエイ乗り場に通じる土産物売り場が改造されて、即席の劇場になっていた。豪華絢爛とは正反対のいかにも場末っぽい造りの劇場で、畳席と椅子席で百人ほど収容の広さである。剣劇、人情劇、そして股旅物が安い料金で身近に楽しめる。

 

高瀬顧問に案内され、私は宿願をはたすべく、壱湯の守の奥道後劇場に入場した。入口の壁や天井には大入り袋が鯛のうろこのように貼り付けられていて、人気の一座が一目でわかる。この日、私が観たのは劇団「梓しげき(座長)」の人情劇だったが、役者と観客が混然一体となった雰囲気のせいか、あるいは客席と舞台が近く、手の届くほどの目の前で役者が観客の反応を常に気にしながら演じるせいなのか、はたまたプロとはいえ、どこか大仰で素人くさい演技ゆえか、小学校の頃の参観日、クラスのみんなで演じた学級劇を思い出していた。観客は大人の、といってもほとんど現役をリタイヤした熟年世代である。旅役者と一緒に勧善懲悪を楽しむことが何よりも大衆演劇の魅力なのである。

 

 

 

 

 

坪内翁が少年時代、「大坪座」にかかっていた麦芝居は、どのような演目だったのだろうか。翁も大衆演劇の定番である「忠臣蔵」「清水次郎長」「国定忠治」をはじめ数多くの剣劇や股旅物を観て、せちがらい世にあっても、大切なのは義理人情であり、最後には、悪は滅び善が勝つことを自然に学んだのであろう。

今日、テレビや映画や都市部の劇場、さらにネットの中で観る演劇やドラマの内容は、垢抜けしていて見た目にも綺麗で洗練されている。しかしそうであるからこそ、とくにバーチャルの時代になればなるほど、現実感はなく、遠い世界の出来事として受け止めることになる。大衆演劇は今日も栄えており、全国には百をこえる一座があるし、常設の劇場も多い。しかし、観客は団塊の世代から上の人たちで、若者は少数である。現実感の乏しいバーチャルの世界に囲まれて育つ現代の青少年の中から、どのような巨人が生まれるのか、それはそれで楽しみである。