もう一つあります。これは是非付け加えておきたい。
これは私の考えですけども、明治以後、宇和島の指導的立場に立たれた人々、というのはまず、児島惟謙から始まって、末広鉄腸、土居通夫、穂積陳重、穂積重遠、数年前に宇和島に来ていただいた穂積重行先生の系譜です。みんなイギリス派なんですよ。鉄腸が代議士に出たときも、伊達家が利便を図り、金まで出している。この人達は言うならば宗城グループ。陳重先生と渋沢栄一の長女歌子さんとの結婚を勧めたのは宗城公、仲人をしたのは児島惟謙。この渋沢を明治政府に引っ張ったのは宗城公です―慶喜の下で静岡にいたのを。このことは渋沢自身が書いています。渋沢の第一銀行を応援したのも宗城公。西園寺公成が華族の金を渋沢に預けて利殖させる。そのお目付けとして西園寺雪江が取締役として行ったわけですね。
最後に、村松恒一郎が言ったように、宗城公、パークス、薩長の開明派若人との三人四脚で日本の四つの近代化が始まったことを忘れてはなりません。
時間になりましたのでこれで終わります。今日はご静聴ありがとうございました。
(以上)
平成二十六年十月十一日・於 宇和島生涯学習センター
西南四国歴史文化研究会(第十六回予土交流会)と宇和島歴史文化研究会)(三十回勉強会)の合同会 での講演
編集・宇和島歴史文化研究会事務局
追記
来航英国軍艦については近藤俊文・水野浩一「慶応二年宇和島来航の英国シナ艦隊旗艦プリンセス・ロイヤル号について」「よど十六号」をご参照ください。
資料の閲覧や撮影、写真提供等ご協力いただいた機関等は次の通りです。
公益財団法人宇和島伊達文化保存会
海上保安庁海洋情報部
宇和島市立伊達博物館
金子 仁(株式会社カネコ会長)
高橋 信一(元慶應義塾大学理工学部准教授)
(敬称略)