一遍と今をあるく

哲学カフェ一遍

應接計画をたてた人々、その内容

さて、いよいよ宇和島来航の本番です。

じゃあ宇和島藩はどのようにエゲレス人を迎えたか。宇和島の人なんか外人を見たことなんかないわけですよ。

伊吹八幡神社の記録を見ますと、一か月程前に「エゲレス人が来るぞ」という知らせを流しています。この神社の記録というのは、とっても貴重です。宇和島藩からの通達が丁寧にきれいな字で写されています。そこにコピーを置いています。

一か月程前から宇和島人は異人が来るということを知っているんですよ。だから期待して胸をわくわくさせている。で、宇和島藩がどんな應接を考えたかといえば、そこに展示してある「慶應二丙寅 英国軍艦入港取計 御目附中」袋の中に全部まとまっています。

それぞれ井関斎右衛門、田手次郎太夫、梁川壮左衛門―宇和島藩ではトップの虎之間士であるし、選りすぐりの賢い人たちです。

特に井関斉右衛門は凄い男ですね。初代の神奈川県知事をやり、結局、薩長ではないですから最後には新政府から叩き出されますけれど…。島根の方に追いやられて、厭になって辞めてしまいます。

袋の中にたくさん文書があって、細かくどのように応接するかを事細かに書いています。それをいちいち見るのは煩雑ですから、実際にどのような事態になったのかを、英文書館収蔵航海日誌も参考にして通時的にまとめてみましょう

英国軍艦入港取計

関齊右衛門、田手次郎太夫、梁川壮左衛門                                       総括:松根圖書五代才助