一遍と今をあるく

哲学カフェ一遍

加藤彰廉と新田長次郎(温山)

ある組織の現在の「価値」は、その組織が、将来、何を成し遂げるかによって決まる。組織の歴史や伝統を正しく理解することは、その組織を発展させるために何をなすべきかを知るためにも極めて大切なことである。
松山高等商業学校(戦前)松山高商は、松山に四国帝国大学を設立したいという地域の要望から設立された。その設立資金は、加藤恒忠(外交官、後に松山市長)が親交のあった松山出身の実業家新田長次郎(温山)に頼み、元大阪高等商業学校長の加藤彰廉を校長にするという構想のもとに、寄付してもらった。この点について、新田長次郎自身が「高等商業なら校長には加藤さんがあると考えて、即座に同意した」と述べている。
また、井上要(伊予鉄社長)は、新田氏が松山高商のために巨費を投じたのは、「全く彰廉君を信頼したからであると、私は断言する」と述べている。新田長次郎は、松山高商の設立に必要な資金の全てを寄付し、さらに、土地3千余坪を提供してその収益を学校経常費に充当した。また、教員の国外留学費も寄付している。
松商教員と長次郎夫妻(温山荘昭和11年)「学校のことは学校の教職員に任す」という学校の自主経営・自治経営は、松山高商創立以来の伝統であるといった事実とは全く異なる説が、現在、松山大学に既得権益をもつ教職員によって語られている。
それは、松山大学の歴史・伝統をゆがめ、卒業生や学外の意見を排除し、組織の発展を阻害している。
松山高商の教授会は、校長の諮問機関であり、加藤校長は、3人の教員を辞任させている、1人は、生徒からの意見で実力不足の英語の教員、もう1人は、校長の教育方針に反し、資本論を教えることをやめなかった教員である。また、新田長次郎は、松山学園構想(松山高商と北予中学を合併すという構想)には、明確に反対している。
新田長次郎(温山)新田長次郎の功績は、学校経営への介入なしに莫大な寄付をしたことではない。加藤彰廉が校長として学校を経営するならば、松山高商が存続・発展できるという見通しをもって莫大な金額の寄付をしたことである。
加藤彰廉の貢献は、研究の重視・少人数教育による質の高い教育、徳義の重視という明確な経営理念の下に、全ての卒業生の就職に尽力し、社会で活躍できる人材を育成することによって地域社会や新田長次郎の期待に答えたことである。
松山高商は、地域社会と時代の要請のもとに設立されが、加藤彰廉と新田長次郎という「人」を得て、設立・発展が可能となった。加藤彰廉と新田長次郎とを結び付けものは、相互の「信頼」と教育に対する情熱であった。