一遍と今をあるく

哲学カフェ一遍

近藤俊文先生プロフィール

image1京都大学医学部卒、内科系大学院修了 医学博士
宇和島市立病院名誉院長
公益財団法人宇和島伊達文化保存会理事

著書
『天才の誕生―あるいは南方熊楠の人間学』(岩波書店)
『カルテの余白』(岩波書店)
『伊達宗城公傳』『伊達宗紀公傳』『伊達村壽公傳』(いずれも創泉堂出版)などがある。

ハリー・パークスと伊達宗城
伊達宗城は四賢候の一人として名を残している。それは維新への道を拓いた開明派の藩主というだけのことであって、明治新政府の国造りに貢献した、という宗城の真骨頂は知られていない。

宗城は慶応四年から明治四年まで、いわゆる長州ファイブや薩摩留学組を配下に置く政府の要職にあり、外務実務者のトップであった。この間、宗城が手腕を発揮できた背景には、かれのパートナーであった英国公使ハリー・パークスの存在がある。

二人の関係は、幕末に宗城の智謀と英断で、1866年8月、英国艦隊を宇和島に招いたことから始まっている。「日本におけるパークス外交の歴史は、結局のところ明治初年の日本の歴史そのものに他ならない」と評価されているパークスと強い信頼で結ばれていた宗城。

英国艦隊宇和島来航から150年経った今年。近藤俊文先生がその歴史的意義について講演した記録を、貴重な史料と共に順次掲載します。