一遍と今をあるく

哲学カフェ一遍

6南無 岡田顕三翁 (四)

(四)

福井県の東尋坊に近い荒磯のほとりに生まれ、幼くして父親を失くし、祖母と母親に連れられて東京に来住された高間芳雄さんは、たんなる一介の文学青年ではなくて、どことなく心の奥に日本海の怒涛を思わすような毅毅(たけだけ)しいものを秘めているように見えた。

一高時代には『廻転時代』、大学時代には『文芸交錯』という、当時の正統派に叛旗をひるがえす同人雑誌の編集に参画し、すでにその頃から、将来プロレタリア文学の激流の中を突き進んだ高見順の片鱗が見られた。

どちらかと云えば剽軽(ひょうきん)で茶目っ気の家永君とは好対照だったが、なかなかの人柄で、食堂での二人はよく揆(ばち)が合って楽しそうだった。西条八十(右絵)の話にはさして興味もないらしく『さあねえ』と気のない返事がかえってきた。しばらく間を置いて、高間さんは『コロムビアではよく懸賞当選の歌詞をレコードに吹き込む前に西条八十に手を入れてもらっていますが、先生が添削したものを見ると、原文は完膚なきまでに変容し、もとの形はほんのかすかにしか残っていないんですよ。つまり極端に単純化されているんです。美辞麗句を列ねた、いわゆる「文学調」のものはレコードにしても人が歌ってくれない。西条さんの直したものは、驚くほど平明で、まさかこんなものがと思うくらいだが、それがいったんレコードになると売れるんだね。人が歌ってくれるんですよ。その辺のコツを心得ている点ではやはり第一人者だ』。

家永君も幾つかの実例を挙げて高間説に賛意を表した。私も合槌を打ちながら、

『いやそれが、大衆心理というものでしょう。とくに日本人の文章には修飾が多すぎる。生活に飾りが多いからかも知れません。高間さんもご存知と思いますが、英文の助手だった梶木隆一君(後、外大教授)っているでしょう。彼と僕と二人で、外語のサージャント先生に英語の作文を添削してもらっているんですが、この間先生から返された僕の作文を見て驚いた。形容詞が全部赤鉛筆で抹消されているんです。名詞が弱くなるから、やたらと形容詞を使うなと注記がはいっていました。でも、形容詞がないと淋しい。日本文化っていうやつは形容詞の文化だから』。『国民性とたしか関係があるね』と高間さんは言った。