一遍と今をあるく

哲学カフェ一遍

献本お礼など

献本お礼など

 

1)「医薬経済」5/1号(医薬経済社)の恵送を受けた。お礼申し上げます。

いつも読む「鳥集徹の口に苦い話」は開業医の勉強不足を取り上げ、「メタアナリシス」や「コクラン共同計画」を知らない、「自分で考えることのできない医師」が多すぎると批判している。同感だが、元もと「大学時代には文藝春秋を読んだが、卒業して会社員になったら時おり週刊誌を読む程度」というのが、平均的日本人だろう。

医学生として学んだ医学知識は、卒業と共に劣化し始める。医学の進歩が早いからだ。専門医ならまだ専門知識はある程度更新できるが、「内科・外科」の一般開業医だとそうはいかない。子供の頃、明治時代に医師免許を取得した村の外科医が、昭和20年代にまだ診療できるのを不思議に思った経験がある。その先生はもう80歳近くで、当時の感覚では相当な老人だった。

 

医師は常に勉強を続けていないと時代にキャッチアップできないのだが、中でも難しいのが欧米の医学常識に親しむことだ。メタアナリシスはある医学的問題について、報告された複数の論文からデータだけを取り出してメタ(より上位)のレベルで解析する方法で、個々の論文が含む研究者バイアスや患者の偏りなどを排除することができる。日本でこの手法の重要性を最初に指摘したのは近藤誠さんだったと記憶する。

以下は彼の近著「健康診断は受けてはいけない」(文春新書, 2017/2)が引用している「がん検診に死亡率を減らす効果がないのはなぜか」という英国医学会誌に2016に掲載された論文のPub Med情報だ。この本は珍しく「毎日・書評欄」で養老孟司が取り上げていた。

Why cancer screening has never been shown to “save lives”–and what we can do about it. (なぜ「がん検診」に救命効果があると一度も証明されていないのかー我々にできることは何か)

(BMJ. 2016 Jan 6;352:h6080)

Prasad V(1), Lenzer J(2), Newman DH(3).

1.Division of Hematology and Medical Oncology, Knight Cancer Institute, Oregon Health and Science University, Portland, , USA,

2.New York, USA.

3.Department of Emergency Medicine, Icahn School of Medicine at Mount Sinai, New York, USA.

https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/?term=BR+MED+J+2016+352%3A+h6080

 

同じくPub Medにはニクソン大統領が始めた「対がん戦争」が成功しなかったことを反省し、がん細胞を排除する「個体の免疫力を高める」ことを主眼とする新しいパラダイムが提唱されている。

https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/27928220

 

「コクラン共同計画」は、英国に本部を置くEBM(証拠に基づいた医療)を推進する団体だ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%B3%E5%85%B1%E5%90%8C%E8%A8%88%E7%94%BB

日本の医療が「ガラパゴス化」しているのは間違いない。「修復腎移植」否定はその典型だ。

問題は鳥集さんも指摘するように、海外の重要学術論文を読み、それを新聞や雑誌でわかりやすく伝えるべきジャーナリストの力量不足にもあると思う。

 

「目的の希薄化が招く医学生の留年」という無署名記事にも驚いた。

近年、高偏差値の高校生がこぞって医学部に進学し、ことに東大理Ⅲに進むものが多い。本人の職業的適性や将来の目標など無関係に入学するから、「これはきっと問題が生じるだろうな…」と思っていた。

はたして問題は各学年での「留年者数」の増加に表れていた。記事には母数が書かれていないので留年率がわからないが、2015年、国公私立53大学の学年別留年者数は、

1年生=260人 (教養課程留年)

2年生=456人 (医学進学課程留年)

3年生=287人、

4年生=328人、

5年生=140人、

6年生=334人(卒業延期)

となっている。

私たちが大学に入学した頃は、1,2年生が「医学進学課程」で、教養部で授業を受けた。語学は英語とドイツ語が必修で、ラテン語は選択必修だった。あの頃、ギリシア語もあったらなあ、とこれは今でも後悔している。ラテン語とギリシア語の知識は医学用語を理解する上で欠かせないし、リンネの二項命名法による生物の学名を理解するにも必要だ。

後述するように、福山のSさんが来て書棚の本をデータベースに入力してくれた時に、ヘルベルト・オイレンベルクの「Das Geheimnis einer Frau」(ある女の秘密)というドイツ語テキストが出てきた。どのページにも必死で辞書を引いて、単語の意味を鉛筆で書き込んでいる。

あの頃を懐かしく思うと同時に、今の医学生はたった1年の「教養課程」で、英語以外の外国語能力が習得できているのだろうか?と思った。

2)「買いたい新書」書評: 今回は斎藤孝「語彙力こそが教養である」(角川新書)を取り上げました。東大法学部卒、明治大文学部教授の著者は『声に出して読みたい日本語』(2001)が大ベストセラーになったことで有名です。「文は人なり」といいますが、著者によれば「話す言葉も人」で、相手が1分間話すのを聞けば用いる語彙の種類と頻度から、その人物の知性と語彙のレベルが判定できるそうです。

私は若者の「すごく」、「チョー」、老人の「あの」、「その」、「あれ」の濫用は人間関係の幅の狭さに由来すると考えています。「人間関係」は何も現実の人間に限定する必要はありません。

「楽しみはそぞろ読みゆく書(ふみ)のなかに、我とひとしき人を見しとき」と詠った越前福井藩の歌人橘曙覧(あけみ)や「書を読むと昔の人に会えるのが楽しい」と述べたアリストテレスにならって、古今の名著に親しむのが重要だと思います。だから著者の意見に大賛成です。

http://www.frob.co.jp/kaitaishinsho/book_review.php?id=1493341143