一遍と今をあるく

一遍上人堂通信

7 飄(ひょう)々と行く

       飄(ひょう)々と行く

 

         賦算札

熊野の峰を下りた一遍さんは、身も心も軽々と本当の捨て身の旅に出たのです。それから四年間、一遍さんは「南無阿弥陀仏」を声高らかに唱えながら、賦算札を配り、ひたすら歩きつづけました。しかし「食べものも食うや食わず、衣もすりきれ、山路で日が暮れるとそのまま、苔(こけ)の上に横になって寝る。また、川の音に目をさまし、そのまま、野宿から起きて歩き出す」という一人旅でした。

おのづからあひあふときもわかれてもひとりはいつもひとりなりけり(たまたま人と出会った時もまた別れた時も一人はいつも一人なのです。人間は一人生まれて一人死ぬのです)

 

一人でも一遍さんはさびしくはありません。

となふれば仏もわれもなかりけり南無阿弥陀仏なむあみだ仏(一遍さんが法灯国師の下で参禅した時の歌)

 

一遍さんは楽しかったのです。旅は、出会いだといいます。一遍さんの旅は、念仏との出会いでした。

          一人旅

「よろづ生きとし生けるもの 山河草木、ふく風、たつ浪の音までも念仏ならずということなし」(一遍上人語録)

 

一遍さんは念仏の中を念仏を唱えながら歩いて行くのです。ある時、見知らぬ坊さまに会いました。その坊さまは、見すぼらしい一遍さんの姿を気の毒に思って、自分の着ている袈裟(けさ)をさしだしました。一遍さんは大変うれしく思いました。