一遍と今をあるく

一遍上人堂通信

2 生いたち

絵本一遍さん

       生いたち

お母さまの前に仏さまが…

一遍さんは延応元年(一二三九)二月十五日、伊予(愛媛県)に生まれ、名を松(しょう)寿(じゅ)丸(まる)といいました。

前年のこと、一遍さんのお母さまは不思議な夢をみました。目の前に日頃念じている仏さまがあらわれ、みるみるうちに小指の先ほどの小さな金のお姿になり、念仏を唱えているお母さまの口の中にすっとお入りになったのです。このお話からか後に一遍さんは勢至(せいし)さまの生まれ変わりだという人もありました。

お父さまは伊予の豪族(ごうぞく)・河野(こうの)家の一族で、別府(べふ)(河野)七郎左ェ門通(みち)広(ひろ)といいます。松寿丸十歳の時、あの優しいお母さまが亡くなりました。信仰心の厚いお父さまのすすめにより、松寿丸は仏門に入って修行しました。はじめは法名を隨(ずい)縁(えん)といいました。

十三歳の春、隨縁はお父さまや兄弟と別れ、お供一人をつれて、遠い九州・大宰府(だざいふ)に修行のため旅立ちました。

当時の大宰府は江戸時代の長崎のような所で、外国へ向かって開いている、日本の窓でありました。宋(そう)などへ渡った僧もみな大宰府を拠点としていましたので、留学の地としては最良の地でした。鎌倉仏教の祖師(そし)(一宗一派の開祖)の人々は、若い頃、みな比叡(ひえい)山に登って修行しています。しかし、一遍さんは他の先輩祖師とは異(こと)なり、比叡山に登っておりません。

九州では聖(しょう)達(たつ)上人や華(け)台(だい)上人の下で、浄土(じょうど)教(きょう)の基礎をしっかり学びました。

 

     松寿丸

一遍さんはここで法名を「隨縁」から「智(ち)真(しん)」と変えています。