一遍と今をあるく

一遍上人堂通信

6 成道(じょうどう)

       成道(じょうどう)

 

伊予を後にした智真は、会う人ごとに念仏賦算(ふさん)をしました。念仏賦算とは「南無阿弥陀仏」と書いた小さな札(ふだ)を人々に配って念仏をすすめることです。つまりこの札は極楽浄土への入場券というわけです。

智真の成道、つまり悟りを開いたのは、智真が紀州(和歌山県)熊野(くまの)権現(ごんげん)に参籠(ろう)した時といわれます。その熊野山に行く途中のこと、一人のお坊さまに出会いましたが、

「私には今南無阿弥陀仏を信ずる心は起こっていません。ですからお札を受けるわけにはいきません」と、賦算札をつき返されそうになりました。その時、多勢の人が集まって来ましたので、とっさに、「信心がおこらなくても受けなさい」と、強くいって無理に渡してしまいました。他の人たちもみなお札を受けとりました。智真の胸には疑いが広がっていくばかりです。「信心の心のない者に札を渡すのが、果たして、意味があることなのだろうか。私は間違っているのだろうか」

智真は、熊野本宮の証(しょう)誠(じょう)殿に籠(こも)って一心に祈りをささげました。しばらくすると光がさして、白髪の老人が山伏(やまぶし)姿で現れました。熊野権現の化身(けしん)です。

六字名号一遍法                  十界依正一遍体               万行離念一遍証                  人中上々妙好華

「念仏をすすめるそこの聖よ、あなたが念仏をすすめるから、みんながはじめて往生(おうじょう)するのではありません。もともと一切(いっさい)衆生(しゅじょう)の往生は決定(けつじょう)しているのです。念仏を信ずる信じないは問題ではありません」

気がついてみると童子たちが、可愛い手をそれぞれ出して、「その念仏下さい」と、いって札をうけとり、透きとおるような声で口々に「南無阿弥陀仏」を合唱して、いずこともなく去っていきました。

ここで、智真は、名を一遍と改めます。