一遍と今をあるく

一遍上人堂通信

9 帰依(きえ)する人々

       帰依(きえ)する人々

 

ある年の冬、備前(岡山県)の藤井という所で念仏を勧めている時、吉備津(きびつの)宮の、神主の息子の妻になっている婦人が一遍さんのお話を聞いているうちに、どうしても出家したいと、その場で髪を剃ってもらい、尼になってしまいました。

ところが、その夫が外出先から帰ってみますと、妻がくりくり坊主の尼さんになっているのをみて、真赤になって怒り、大刀をわしづかみにしますと、家をとび出しました。そして、福岡の市(長船町福岡)で説法をしている一遍さんの姿をみつけ、

「このくそ坊主!」

         福岡の市にて

と、刀を抜こうとしました。

一遍さんはくるっとその男に向き直ると、

「あなたは吉備津宮の神主の子か」

と、じっとみつめました。男は、はっとして動けなくなり、へたへたとそこに、ひざまずいてしまいました。その場で、男は一遍さんに帰依、出家してしまいました。

これはほんの一例ですが、一遍さんの信者はだんだんと増えていって、一遍さんを中心にした教団の形ができてきました。これを時(じ)衆(しゅう)といいましたが、一遍さんと一緒に旅をして修行するものも、しだいにふえました。

 

このような一遍さんのお供をした人々の中で、真(しん)教(きょう)上人を忘れることはできません。

        京都にて賦算

一遍さんが真教上人と出会ったのは、九州・豊後(大分県)の領主・大友頼(より)泰(やす)の館(やかた)でした。一遍さんから生死の話を聞いた真教上人は、はらはらと涙を流し、お弟子にしてくれるよう、願い出ました。

真教上人は時宗(じしゅう)の二祖上人とされていますが、事実上の時宗教団を作った人です。