一遍と今をあるく

一遍上人堂通信

黒田杏子句碑

⑧黒田杏子句碑(本堂前向かって左)

 

稲光(いなびかり)一遍上人徒(かち)跣(はだし)   杏子

 

(大意)稲光のきらめいた一瞬、闇の中に浮かんだのは、跣で歩いておられる一遍上人のお姿であった。上人は今も、衆生済度の遊行を続けていらっしゃるのだ。

平成二十二(二〇一〇)年九月建立。発起人に、金子兜太、瀬戸内寂聴、藤平寂信、相原左義長、竹田美喜の各氏が名を連ねる。本堂に向かって右側の一遍上人歌碑とも、呼応している。筆跡は自筆。総て漢字の句碑。

 

〈作者解説〉若き日、私はひとり道後のネオン坂をのぼり、長岡隆祥和尚様にお許しを得て、はじめて宝厳寺の一遍像を拝し、一句を授かった。

 稲光一遍上人徒跣           杏子

この日以来、隆祥師と夫人の慈愛につつまれ、松山に行けば空港からお寺に直行。「BS俳句王国スペシャル」「道後俳句塾」で一遍忌・一遍像・誕生寺の句を詠みつづけてきた。奇しくも捨聖一遍智真七二五回忌のことし、忌日を前にお像は本堂もろとも炎上。灰燼に帰した。翌朝目ざめると、私自身が火災を浴びてのち、生まれかわり、髪の先、手脚の先まで蘇生していた。絵巻がある。法語がある。「すててこそ」と遊行を尽くされた一遍上人は生きつづける。

(「子規博だより」第三二巻二号・平成二十五年より)

 

黒田(くろだ)杏子(ももこ)(昭和十三・一九三八―)東京都出身。本名も同じ。東京女子大学文理学部心理学科卒。入学と同時に山口青邨に学ぶ。昭和五十(一九五五)年「夏草」同人。昭和五十六(一九八一)年第一句集『木の椅子』で第六回現代俳句女流賞、第五回俳人協会新人賞受賞。師没後、平成二(一九九〇)年「藍生(あおい)」創刊主宰。平成二十三(二〇一一)年句集『日光月光』で第四十五回飯田蛇笏賞受賞。「遊行者一遍倒れ伏す曼珠沙華」「寒満月遊行上人遊行の眼」の句もある。「道後俳句塾」立案者、講師。