一遍と今をあるく

一遍上人堂通信

坂村真民詩碑

%e5%bf%b5%e3%81%9a%e3%82%8c%e3%81%b0%e3%80%80%e8%8a%b1%e3%81%b2%e3%82%89%e3%81%8f%e2%91%a1⑦坂村真民詩碑(境内東の霊園上方西端)

 

念ずれば 花開く   真民

 

昭和四十八(一九七三)年一二月建立。裏面に「坂村真民 久代」と誌されている。

 

念ずれば

花ひらく

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苦しいとき

母がいつも口にしていた

このことばを

わたしもいつのころからか

となえるようになつた

そうしてそのたび

わたしの花がふしぎと

ひとつひとつひらいていつた

(出典・第六詩集「赤い種」)

 

%e5%9d%82%e6%9d%91%e3%80%80%e7%9c%9f%e6%b0%91%e2%91%a1坂村真民(明治四十二・一九〇九~平成十八・二〇〇六)熊本県玉名郡府本村(現在荒尾市)に生まれる。本名昂(たかし)。またの名は真(ま)民(たみ)。神宮皇學館入学、昭和四(一九二九)年岡野直七郎主宰の「蒼穹」同人となり、短歌に専心する。卒業論文「韻律論」の一部「四四調論」が川田順に採り上げられ、その著『利玄と憲吉』に収められる。卒業後熊本で小学校教員を勤めた後、昭和九(一九三四)年朝鮮に渡り、師範学校教師となる。終戦により故郷に引き揚げ後、昭和二十一(一九四六)年蒼穹同人佐伯秀雄の招きで、愛媛県立高校の国語科教員となる。退職後昭和四十二(一九六七)年より砥部町高尾田の「タンポポ堂」に住み、「詩国」の全国賦算に努め、第四回正力松太郎賞受賞。仏教伝道文化賞、愛媛県功労賞、熊本県近代文化功労賞を受賞。著書に『与謝野鉄幹評伝』、歌集『石笛』。詩集『六魚庵天国』、随筆『念ずれば花ひらく』、評論『一遍上人堂語録 捨て果てて』など多数。「念ずれば花ひらく」の碑は、日本各地をはじめ全世界に、二〇一四年現在約七三〇余基ある。

 

%e5%9d%82%e6%9d%91%e3%80%80%e7%9c%9f%e6%b0%91%e5%ae%b6%e6%97%8f〈作者解説〉中断していた詩誌「ペルソナ」を「詩国」と改名し、新しい心で発刊することにした時、一遍上人の賦算のことがうかび、詩の形式で賦算(ふさん)行(ぎょう)をしたいと思いたちました。そうしたことから一遍上人との深い縁が結ばれ、願いかなって、上人が生まれられた宝厳寺に「念ずれば花ひらく」の碑が建つことになりました。

あなうれし願いかないて上人と

契りを結ぶ永久の契りを

(中略)第五番のこの碑は、これからのわたしの詩を意義づけ一新させてゆく誓いが込められていたのです。その上、この碑の下にわたしと妻は永久(とわ)の眠りをすることにしていますので、他の詩碑ともとちがうおもいがあります。西に向けたのは西方浄土というより、父母のふるさと九州をつねに偲ぶ思いと、好きな海がみえるからです。

冬でもタンポポが咲き、春になると一日中鶯が鳴く、まことによい処に建っています。            (タンポポ堂 坂村真民)                     筆跡は自筆。