一遍と今をあるく

一遍上人堂通信

河野静雲句碑

⑥河野静雲句碑(山門入って右へ)

 

あとやさき 百寿も露の いのち哉

             静雲

 

004(大意)人間が死ぬのに、後先がありはするが、百歳まで生きたとしても、所詮は露のようにはかない命なのだなあ。

 

河野 静(じょう)雲(うん) 明治二十(一八八七)年、福岡の一行寺(浄土宗)に生まれる。本名定運。六歳で称名寺(時宗)の河野智眼の養子となる。藤沢の時宗学林に学び、総本山遊行寺の執事となる。明治三十八(一九〇五)年から「ホトトギス」に投句を始め、同人となり、虚子に注目される。大正十二(一九二三)年帰郷し、昭和二十四(一九四九)年大宰府観世音寺月山に花鳥山仏心寺(俳句寺)を開山する。排誌「冬野」主宰。昭和四十九(一九七四)年遷化。藤沢の遊行寺に「生きてゐて相逢ふ僧や一遍忌」の句碑がある。筆跡は自筆。

平成八(一九九六)年二月十五日、一遍上人第七五九回誕生会、定連和尚二十三回忌法要と合わせて、句碑の除幕が行われた。総本山遊行寺をはじめ全国から集まった時宗僧六十名の読経と声明、坂村真民作詞「二人旅」の新曲の発表、龍谷合唱団による仏教賛歌が披露された。