一遍と今をあるく

一遍上人堂通信

川田順歌碑

⑤川田順歌碑(山門を入って右側の庭奥)

 

 %e4%b8%80%e9%81%8d%e4%b8%8a%e4%ba%ba%e6%9c%a8%e5%83%8f糞掃(ふんぞう)衣(え) 裾の短く くるぶしも 臑(すね)もあらはに わらんぢも 穿(は)かぬ素足者(は)

国々の 道の長手能(の) 土をふみ 石をふみ来て にじみたる 血さへ見ゆがに 以(い)たましく 頬こけおちて おとがひも しゃくれ尖るを 眉は長く 目(ま)見(み)の静けく たぐひなき 敬虔(けいけん)をもて 合せたる 掌(て)のさきよりぞ 光さへ 放つと見ゆれ 伊豫の国 伊佐庭(いさにわ)の山乃(の) み湯に来て 為すこともなく 日をかさね 吾者(は)遊ぶを こ能郷(のさと)に 生れな可(が)らも こ能(の)み湯に 浸るひまなく 西へ行き 東へ往(ゆ)きて 念佛(ねんぶつ)もて 勧化(かんげ)したまふ みすがたを ここに残せる 一遍上人

                            於豫州寶嚴寺  川田 順

dscf5018(大意)糞掃衣(捨てられたぼろ布で作った衣)の裾は短く、くるぶしも臑もむき出しで、草鞋(わらじ)も履(は)かない素足でもって、国々の長途の土を踏み、石を踏んで来て、にじんだ血さえ見えるほど痛々しく、頬は痩(こ)け落ち、顎も尖っているが、眉は長く瞳は静かで、いままで誰もが持ち得たかった慎み深い信仰心を持っているので、合わせている手の先からは、光が放たれているようにさえ見える。伊予の国の伊佐庭の岡の温泉に来て、私は為すこともなく幾日も遊んでばかりであるのに、この道後の郷に生まれたにもかかわらず、この温泉に浸っている暇もなく、西へ行き東へ行きして、念仏を誘い勧めてお回りになったお姿を、ここ宝厳寺に残している一遍上人よ。

 

川田 順(明治十五・一八八二~昭和四十一・一九六六)東京都出身。東京帝国大学法科卒。大阪住友筆頭重役。住友在職中、石鎚に登山している。歌人。佐佐木信綱に師事し、 dscf5016「心の花」に参加。「日光」創刊に参画。歌集『鷲』で学士院賞受賞。朝日文化賞受賞。昭和三十八(一九六三)年芸術院会員となる。『新古今和歌集』の研究家としても知られる。昭和二十一年から東宮御作歌の指導者となる。

昭和三十四(一九五九)年七七歳の時、宝厳寺に詣で、一遍上人の像を拝した時の感動を詠んだ長歌である。男性的断定的で格調高い。反歌の短歌がないが、本堂正面右の一遍上人歌碑の短歌を読むと、よく調和する。長歌の冒頭に押された関防印には「夕陽無限好」と刻まれていて、境内南側の斎藤茂吉歌碑とも呼応している。筆跡は自筆で、平成二(一九九〇)年建立された。